召し上がれ

 

 驚いた。
 キスをされた。
 でも、一番驚いたのは、そんなに嫌じゃなかったことだ。
 今まで嫌だ嫌だと逃げてきた手前、必死に口をぬぐって見せたけれど。その後どうすれば良いのかわからなくて、逃げ帰ってきた。

 キスをされた。嫌じゃなかった。

 明日からどんな顔して会えば良いんだろう。
 いや、本当はわかってる。嫌じゃなかった。その真意も、これからどうすべきかも。
 でも、素直になんてなれるはずがない。
 だって、相手はあの盤君なんだから。
 明日から、どんな顔をして会えば良いんだろう。

 だけど心配は杞憂に終わった。
 そもそも俺たちは時間が合わないのだ。職場が同じとは言え、毎日顔を会わせるようなことはないし、俺から盤君を誘うようなことはないから、盤君から誘ってこない限り二人きりになるようなことはない。
 そして盤君もまた、誘ってこない。誘われたと思ったら、同期会だったり、四隊と三隊の合同の飲み会だったりする。だからいっつも、嫌味を言われたり、口論みたいになって、それだけで終わる。これまで通りだ。
「あ、おはよう」
 訓練日。いつものように部屋を出たら、外で盤君と鉢合わせになった。
「ああ」
 普段通りの盤君だ。
「四隊も防基で訓練だっけ」
「三隊が防基で訓練しとる日は煩うてかなわん。兵悟君ちったぁ成長してくれんね」
「ぅっわ、なんだよそれ!」
 訓練中のことなんか何も知らないくせに。そう思ったが、違ったらしい。
「事実ばい。グンソーの神林ち叫ぶ声がいっつも基地中に響いとる」
「え、うそ! そんなに聞こえてるの?」
 驚いて聞けば、盤君はニヤリと笑った。
「聞こえとうよ」
 表情とは裏腹に、声は優しくて。
 あ――
 意識してしまった。
 なんだか一気に気恥ずかしくなって、防災基地までが酷く長く感じた。
 その日、訓練が終了すると飲み会に徴集された。何も用はないし、はい、と返事をしようとしたところへ盤君がやってきた。
「兵悟君早いせんね! ライブ間に合わんぞ!」
 ライブ?
「ぅーわ、男二人でライブかいな! しゃあない、二人不参加な」
 盤君の言葉に、嶋本さんはすんなり引いた。そして、ほなお疲れさん、と後ろ手にひらひらして去っていった。
「ライブ?」
 約束した覚えがない。聞くけれど、盤君は「行くぞ」とだけ言って歩き出した。
 盤君は無言でずんずん歩いていく。俺はと言えば、着いて行くしか出来なかった。けれど途中で気付いた。これは官舎への道のり。きっと、ライブなんて嘘なんだ。
「盤君、本当はライブなんて無いんだろ? なんで俺まで帰らなきゃならないの?」
「話がある」
 盤君の声はいたって真面目だった。
 官舎に着いて、ではサヨウナラというわけにもいかず、俺は盤君の部屋に招かれた。
「何だよ、急に改まって」
 聞くと、盤君はやっぱり真面目な顔で、でも少し眉尻を下げて言った。
「避けるのやめてくれんね」
 避ける?
「俺、避けてなんか……」
「じゃあ最近の態度は何や? 目は合わさん、話は続かん。他んヤツらとは普通にしとるやろ?」
「っ……」
 何も言えなかった。
 避けてたつもりは、多分、本当に無い。でも、どうすれば良いかわからなくなっていたのは事実だから、きっとそのせいだ。
 何も言えずにいたら、盤君が口を開いた。
「キスしたのが原因なのはわかっとる。やかい、あいかい何もしとらんやろ」
「……」
「まさか、あがん逃げらるっとは思わんかったかい……」
「いや、あれは……!!」
 しょんぼりした盤君に、思わず口が滑った。
「ん?」
「いや、なんでもない」
「何や? 気になるやろ」
「……」
「兵悟君、」
 その声は、言葉とは裏腹に弱々しくて。なんだかすごく申し訳ない気分になって、すごく、悲しくなった。
「驚いたんだ」
 言えば、盤君は「うん」と頷いた。
「最初は、キスされたことに驚いたけど……。……ゃじゃなかったから、驚いたんだ」
「ん?」
「嫌、じゃ、なかったんだ。だから、」
「ホントに?」
 全てを言う前に、盤君は聞いてきた。その顔が、すごく嬉しそうで。俺はまた、驚いた。
 盤君が、俺なんかの言動で一喜一憂する。
「……本当に」
 答えれば、盤君はガバリと抱きついてきた。
「良かった……!」
 そしてぎゅっと抱きしめられた。
「次こそは嫌われたかと思った」
「盤君……」
 恐る恐る背中に手を回せば、また盤君の抱きしめる腕に力が入った。
 抱きしめられる強さに比例して、胸のあたりがきゅっとしめつけられる感じがする。
 盤君の匂いがする。盤君の体温を感じる。盤君の少し早い鼓動を感じる。
 目を閉じて浸っていたら、そっと体を離された。
「キス、して良か?」
 盤君は優しく聞いてきた。だけど、良いよ、なんて返事、恥ずかしくてできるはずがない。何も言えずにいたら、そっと引き寄せられた。
 唇を重ねるだけの、だけど少し長い、キス。
 恥ずかしい。
 でも、なんて、幸せなんだろう。
 なんだ、もっと早く素直になっときゃ良かった。
 伝えなきゃ。
「盤君」
「ん?」
「あのね」
「うん」
「…………」
「なに?」
「あのね」
「うん」
「……すき」
「知ってる」
 盤君はすごく嬉しそうにそう言った。そしてまた抱きしめられて、キスをされた。
 次は、永遠のように長いキス。
 永遠のように長いキスの果て。俺はいつの間にか床に横になっていて、盤君に馬乗りされた状態になっていた。
 いや、無理。無理だからそれは。
 だけど盤君は丁寧に合掌して、ニヤリと笑った。

(おわり)

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