シミュレーション

 

 暖冬と言われたこの冬。どちらかというと、気候が不安定なだけだと盤は思う。
 ほら、今日だって、もう3月も下旬に差し掛かろうとしているのに、真冬並みの寒さだ。

 ぅあー、ちかっぱ寒か。

 ずずっと鼻をすすって、ニット帽を深く被って、トレーナーのフードもしっかり被って、両手はジャケットのポケットに突っ込んで、とぼとぼと歩く。盤の冬のスタイルだ。
 ただ、いつもと違うのがBGM。少し前を歩く人物の軽やかな足音と、ぎゃんぎゃんうるさい声と、それに適当に相槌を打つ自分の声。
 相手が愛しい愛しい恋人なのだ。音楽などに頼らなくとも、世界は映画のように綺麗に見える。
 これで手でも繋げたら最高だけど、まだ昼間だ。いつまで経っても初々しい恋人のため、我慢する。「寒い」という素晴らしい口実がある。きっと夜になれば繋がせてくれる。そしたら恋人は急に静かになるのだ。ムードなんて作ろうとするまでもなく出来上がる。
 なんて、バカで天然で可愛い恋人。想うだけで顔がにやける。
 静かになったらそのまま肩に手を回そう。抱きしめよう。きっと戸惑いながらも背中に手を回してくれる。そしたらまた愛おしくなって、抱きしめる腕に力が入ってしまうのだろう。でもきっと可愛い恋人は肩に顔を埋めてくれるに違いな「あ、メグル君! 見てほら、あそこ!!」
 兵悟はそう言うと、おもむろに指差した方へと駆け出した。盤は目を凝らすが、指差された方に珍しいものなど何も見当たらない。大体視力に天と地ほどの差があるのに、おバカなこの恋人はそんなことお構いなしなのだ。
「なんね?」とやる気の無い返事をすると、兵悟は盤の方に向き直り、手を取るとまた走り出した。

 兵悟君の手、あったかかー……

「さくら!」
 兵悟は嬉しそうに声をあげる。
「桜? どこね?」
「ほら、あそこ!」
 振り返り、満面の笑みで答える。左手は桜の方を指差して、右手は盤の手をしっかりと握ったまま、前も見ずに走り続ける。危なっかしいを通り越して、危ない。
「あーあー。わかったから、前向かんね」
 その言葉に兵悟は素直に従う。
 繋がれた手。きっと兵悟はそんなこと意識していないのだろう。いつこの事実に気付くだろうか。盤はそんなことを考えて、わざと横に並ぶことはしなかった。横に並んでしまえば、きっと手は離される。
 たっぷり五分は走っただろうか。たいしてスピードは出していなかったが、体力のある二人だから、一キロメートル近く走っただろう。たどり着いたのは、小高い丘にある公園だった。兵悟は手を握っていることなどすっかり忘れてしまっているのか、離そうとしない。盤はここぞとばかりに握りしめる。
「ね、満開!」
「よくこげん遠かとこん桜ば見えたね」
「えー。だって、こんなに満開じゃない。見えたでしょ?」
「見えんばい」
「メグル君の目が悪いんだよ」
「兵悟君の目が良すぎるったい。デタラメ人間の万国ビックリショーと一緒にせんでくれんね」
「なんだよ、それ〜」
 言うと兵悟は、木の方へと駆けていった。手はパッと離された。
 兵悟は木の下まで行くと、両手を前に出して受け皿を作った。花びらを待っているのだろう。真上を向いた顔は口が少し開かれていてアホらしい。盤はゆっくりとそちらへ歩いていく。しかし盤がたどり着く前に兵悟は作戦を変えたらしかった。舞い散る花びらを追いかけ始める。
 盤は、はぁ、とひとつため息をついた。
 この恋人は、恋人である前に仕事ではライバルなのだ。それなのにこんなにも、どんくさい。
 盤は足下に落ちてきた花びらを一枚拾い上げた。
 この色を、兵悟は薄いピンクとでも言うのだろうか。ピンクが本当は、単体で見たら大して綺麗な色ではないことを知らないに違いない。生まれたばかりのウサギのような色をピンクというのだと知ったら、きっと無知を棚に上げて怒るのだろう。桜色なんて言葉を、兵悟が知っているとは到底思えない。下手をしたらぎゃんぎゃん言い合いになりかねない。
 はぁ‥‥
 盤はまたため息をついた。
 色気んなか……
 兵悟は花びらを追いかけ続ける。意味だとか、いい年こいて、だとか、そんなもの兵悟にはないのだろう。盤はあきらめて適当なベンチに腰掛ける。
「メグル君! メグル君ホラ見て、花びら!」
「花びらがなんね?」
「はあと!」
「はあ?」
「ハートみたいな形してる」
「それがどうしたとや」
「別にどうもしないけど。こんな形してたんだなぁと思って」
「…………」
 兵悟はなおも花びらを眺め続ける。盤はおもむろに兵悟を呼んだ。
「ヒョーゴ君!」
 名前を呼ばれパッと顔をあげた兵悟を確認してから、手招く。兵悟は素直に駆け寄ってきた。盤は両手を兵悟の頬に伸ばす。
「冷たっ」
 兵悟は慌てて盤の手を両手でくるむ。
「桜はもうよか?」
「へ?」
「兵悟君が構ってくれんから、おいは凍えそうたいね」
「あ……ごめん」
 途端にしゅんと元気をなくした恋人を、握られたままの手を前に引いて引き寄せる。盤がベンチに座ったままのため、兵悟はおもいがけずバランスをくずした。盤に抱き付く形になる。ごめんと言って離れようとする恋人を、盤は放さなかった。
「これでいいったい」
「め、メグル君!?」
「うっさか」
 言って盤は抱きしめる力を強めた。
 あとは、当初のシミュレーション通り。


(おわり)

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