お題8.ブレない人

 

 石井はメガネをかけてはいるが、実はそこまで視力は低くない。
 潜水士だ。低くてはいけないのだ。水中ではどうしても裸眼なのだから。
 それでもメガネをかけるのは、乱視がひどいからだ。
 どの程度ひどいかと言うと。
「……満月か」
 たまに、なんとなく目をやった空に浮かんでいる月が気になってメガネをかけたら、それは、
「三日月かい……」
 己の視え方の乱れっぷりに驚きつっこみをいれる程だ。

 石井の世界はブッレブレ。メガネをかけ、BGMに手伝ってもらわないと、キレイじゃない。
 石井には、キレイじゃない世界は、意味がない。

 だけど、キレイな世界は、石井には眩しい。
 眩しすぎる。
 どいつもこいつも、眩しすぎる。おかげで石井は、誰のことも見ようと思えない。
 いや、一人だけ例外がいる。その人は、一際強い光を放つのに、すごく眩しいのに、初めて見た瞬間から目が離せなくなった。メガネもBGMもなくても、その人のいる世界は、ひどくキレイで、見入った。
 そんな人が、今は上司だ。メガネもBGMもなしで過ごせる。

「メガネ、案外かけないんだな」
 休憩時間、石井が一人で麦茶を飲んでいると、そこへ真田がやってきた。
「はい」
 石井は嬉しそうに答える。
「真田さんは、目ぇ結構良いとですか?」
「そうだな。万年2.0だ」
「へぇ〜! 流石ですねぇ!!」
「視力落ちた事がないから、世界がどんな風に見えるのか、気になる」
「ああ〜。基本ぼやけてます。オイはひどか乱視ば入ってるんで、何重にも見えますし。決して良かもんではありません」
 その言葉に真田は、ふぅん、とうなずいて、言った。
「良いものではないのに、メガネ、かけないんだな」
「あ、」
 石井は慌てた。あなたのいる世界は裸眼でもキレイだなんて、そんなとんちんかんなこと、いくらロボだマシンだと言われる相手にでも言えない。
「メガネ、かけたらかけたで、見えすぎるとですよね」
「それは、合っていないんじゃないか? 作り直してもらえないのか?」
 どんどん墓穴を掘っていく。石井は途方に暮れた。
 はぁ、と息をついて外を眺めると、空が夕焼け色に染まり始めた頃だった。
 裸眼でもこんなにキレイな空だ。メガネをかけたらもっとキレイであろうことは、とうの昔から知っている。
「見たく、なかとです」
 石井はぽろりと漏らした。
「みんな眩しか。自分の汚さが目立つごつある」
「……」
「みんな誇りば持ってる。やけん、オイんこつ理解できん」
「……理解して貰いたいのか?」
 まるで寂しがっていると受け取られたような質問に、石井は返事ができなかった。否定したところで、きっと寂しがっていると受け取られる。
 どう答えようか考えていると、真田が「ああ、」と声を上げた。
「非情みたいに言われることか」
「はい?」
「嶋本が言っていた。石井は興味の無いことにはとことん無関心だから、人に対してもそう見えると」
「はあ……」
「それでも一途に人命救助を仕事にするからには、きちんと人を愛しているはずだと」
「あ、愛って」
 石井は恥ずかしくなって茶化して話を終わらせようとしたが無理だった。
「ましまでの訓練のことも聞いた。無人島での石井の判断は正しい。その判断の根底には、助けられる命の数があるんじゃないのか? 今自分が死んでしまったら助けられる命が減ってしまう。だから無茶はしない。そうじゃないのか?」
「そんな、立派なもんやありません」
「本当に?」
「……」
「嘘だな。目隠し逆立ちタイムレース、的確な支持を出したと聞いた。バディが神林なのにだ。一回位転ばせても何とでも言い逃れのできるあの状況で、なぜ?」
「……訓練ですけん」
「ほら」
「?」
「訓練だから、真摯に向き合ったんだろう」
「……」
「人命救助のためなら、お前は自分を殺す事ができる。皆が感情に流されるところを、お前は感情を抑えることができる。非情なんかじゃない。誰よりも人を愛している」
「……」
「だから、誰よりも人の良い部分が見える。眩しく見える」
「……」
「汚くなんてない」
 麦茶の氷が、カランと音を立てた。
「さあ、休憩時間が終わる」
 真田はそう言って一足先にデスクへ戻った。
 石井はデスクへ戻る前に、メガネをかけて周りを見渡した。
「やっぱり眩しか」
 石井は本当はわかっていた。自分が素直になれないだけだということを。
 それを、尊敬する人にこんなにも良いように言ってもらえて、嬉しいけれど。
 二十年以上かかって出来上がった性格だ。いくら尊敬する人に嬉しい言葉をもらった所で、素直になってみても良いかとは思えど、今更素直になんてなれるはずがない。
 それでも、
「ばってん、いつもより綺麗ごたる」
 ブッレブレの世界が、BGMがなくても多少は綺麗に見えるようになった。


乱視

 

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