お題10.亡骸
『要救助者発見。場所は、』
無線から聴こえてきた嶋本の声は、いつになく静かだった。
真田が駆けつけると、既に高嶺が到着しており、要救助者の応急処置も済んでいた。要救助者の足からは、止血の甲斐もむなしく、血がじわじわとにじみ出ている。
「気をしっかり持って! すぐ病院に着きますからね!」
言いながら嶋本は要救助者を背負う。
そして、走り出した。
傷に響く事も無視して走ると言う事は、つまり、それだけ時間が惜しいということ。
「嶋本、こっちだ」
真田が、捜索中に見つけたショートカットを教える。急な階段だが、一気に甲板まで上がれる。
真田は先に階段を上がると、ドアを開けた。光と風が船内に入る。
「見てみ、空や! ヘリで、すぐ、病院着きますからね!」
嶋本の声に、要救助者が僅かに視線を上げ、そして頷いた。
しかし。
がくん、と。
嶋本は膝から崩れ落ちた。
それでも、要救助者のことは背中と左腕でしっかり支えている。要救助者から離れた右手は手すりだ。嶋本は、右腕からぐっと上体を起こすと、空を見上げた。
「いくな!」
強い瞳で叫び、再び走り出す。
「とどまれ!」
人が背中で事切れるとどすんと重くなるという。嶋本は、力が入らずに崩れ落ちたわけではないのだろう。
甲板に上がると、嶋本はすぐさま要救助者を下ろした。下ろしざまに高嶺を呼ぶ。高嶺も理解していたのだろう。言われずともすぐさま蘇生に入った。
嶋本は、要救助者を救急隊に引き渡すまでずっと、「いくな、とどまれ」と叫んでいた。
羽田に戻ってしばらくすると、救助者死亡の連絡が入った。その連絡で、誰からともなく休憩に入った。
「はい」
高嶺が、皆に熱いお茶を差し出す。
「お、ありがとう」
嶋本の声は、普段より幾分静かだ。
「話には聞いたことあったけど、ほんまに急に重くなるねんなぁ」
その言葉で、室内は嶋本の世界になった。
「そうみたいだね」
高嶺が答え、真田は頷いた。他の者は、わからないながらに耳を傾けている。
「海選んで良かった」
「うん」
真田だけが頷いた。
「俺には、フォールできない」
海を選んで良かった。山を選ばなくて良かった。山は、海よりもっと現実が厳しい。
今日のことで、二人はそう感じた。
「それで、シマはいつもより必死に声をかけていたの?」
高嶺が聞いた。
「いや、……関係ない。背中で事切れたからやなくて、事切れてすぐやったから」
「どういうことだ?」
次は真田が聞いた。
「んー。亡骸、って、何を指すか知ってますか?」
その質問に、皆が顔を見合わせる。
「遺体。亡くなった体」
真田が答えた。
「惜しい」
嶋本が言った。
「違うのか」
「大体合ってます。でも、決定的な要素が、一つ足りない」
「……。それは?」
「魂です。死んで、魂の抜けた体のことを、亡骸といいます」
その言葉に、しばし沈黙が生じた。
沈黙を破ったのは、やはり嶋本だった。
「事切れてすぐなら、魂、傍におるんやろうなと思って。体はまだ目の前にある。無念やろうなぁって。なんとか、戻って来おへんかなぁって」
「……」
「でも、俺には引き止められんかった」
再び沈黙が生じた。
次に沈黙を破ったのは、真田だった。
「俺ならきっと、嶋本の声で引き止められる」
その言葉に嶋本はいつもの声に戻った。
「何縁起でもないこと言うてんですか! そんなんなったら許しませんよ! てか、俺が止めるし!!」
ふん! と荒く息をついて、嶋本はお茶を飲み干した。
「必ず生きて帰る。約束ですよ!」
「あ、ああ」
真田が気おされて返事をする。
「真田さんだけやない! 皆も!!」
「はい!」
「はいはい」
「高嶺、はいは1回!」
「はーい」
室内は一転して和やかになった。
「ごちそうさん!」
言い捨てて、嶋本は一人先に自分のデスクへ戻った。
約束
