お題89.霊感

 

 つかれている――

 訓練で疲れ果てるのは平気だが、出動続きで疲れるのはどうしても慣れない。精神的にも疲れる。それが、酷くしんどい。
 気の抜けた状態になるからか、余計なものがこぞって寄って来る。
 今日は嶋本が捕まらなかった。不安と寂しさが募る。
 一人だと感じた瞬間に、彼らは距離を縮めてくる。
 視界に入らない場所、視界をさえぎられている場所。そんなところに身を隠し、俺が眠りにつくのをじっと待つのだ。
 だから、寝たくない。一人でいたくない。

 昔はこんなことはなかった。一人でも平気だった。
 気にしなければ良い。気を紛らわせれば良い。それだけで良いのだ。
 ここ何年か、それが、できなくなった。

 嶋本の優しさと温もりは、何よりも俺を安心させてくれる。嶋本の存在は、何よりも俺を強くしてくれる。

 静かな室内に、突然振動音が鳴り響いた。肝が冷えたが、犯人は携帯電話だった。確認すると、嶋本からのメールだった。
『今日、来てるんですか?』
 主語の抜けたそのメールに、うん、と返事をすると、またすぐにメールが来た。
『その中に、伊藤さんっていないんですかね(・∀・)?』
 とぼけた顔文字に思わず笑みがこぼれる。
 なるほど、この中に有がいるならば、どれだけ心強いだろう。
 懐かしくなって、アルバムを引っ張り出す。無頓着な俺に有が押し付けてくれたそのアルバムは、大好きな人達と、大切な思い出が詰まっている。

 

 


 いつの間にか眠ってしまっていた。
 何者かに体を押さえ付けられて、身動きが取れない。

 またか。

 金縛りだ。
 腕や足や首を押さえ付ける感触はリアルだが、実際には何もいない。脳だけが目覚めて、体が起きていないのだ。
 そう自分に言い聞かせ、恐怖心を取り除く。
 よし。
 目が開いた。光がさしこんできて、置かれたままのステンレスのマグカップが視界に入った。
 写りこむ自分に、何者かが乗り掛かっている。

 誰だ。
 誰だ。
 放せ。
 俺が、何をした。

「真田さんは、やれるだけのことをしましたよ」

 押さえ付ける力がパッと無くなったかと思うと、視界が急に明るくなった。

「おはようございます」
 嶋本がいた。
 マグカップは、夢の中だけではなく、現実でもすぐそこにある。
「大丈夫ですか?」
 体を起こすと、嶋本の手が肩に置かれた。俺の呼吸はひどく荒いものだった。
「伊藤さんは守ってくれなかったんですか」
 嶋本は、床に落ちているアルバムに気付いて言った。
「わからない。俺が振り払ったのかも知れない」
「はあ、」
「金縛りで俺を押さえ付けていたのは、俺自身だった気がする」
「なにそれドッペルゲンガー? こわっ」
 いるはずのないもう一人の自分が、自分に敵意を向けてきた。確かにこれは、恐怖でしかない。
「来てくれてありがとう」
 一度断られた嶋本がいることに気付いて礼を言うと、嶋本はふわりと微笑んだ。
「来て正解でした」
 嶋本は正面に腰を下ろすと、俺の両手を取り言った。
「金縛りの犯人、わかって良かったですね」
「……さっき怖いと言った」
「ドッペルやったらね。でもきっと違う。真田さん自分で、自分自身言うたでしょ」
「ああ」
「じゃあそうなんでしょう」
「……」
「ねぇ、真田さん。自分を責めることありませんよ。助けられへん人がおること、真田さんのせいちゃいます」
「でも、俺は……。自分を許せない。」
 目の前に立ちはだかる壁を、越えられなかった。
 初めて、要救助者を救えなかった。
 壁の向こうにいたのは、救助者じゃない。要救助者だったのに。
「越えなきゃいけない壁だったのに……」
「んんー……。ほな、俺が許しましょ。これから、何人救えんかったとしても。俺は真田さんを許します」
 言って、嶋本は握る手に力を入れた。
「越えられへんかった壁は、リベンジすれば良い。どうしても越えられへんかったら、ぶち壊せば良い。壊されへんかったら、迂回すれば良い。穴掘って下から向こう側行っても良い。ね。先人達はそうやって、今に繋いでくれたでしょう。真田さんにそれができんとは、俺は思いません」
 嶋本のぬくもりが、手と心からじんわりと広がって、目頭まで熱くなる。
「胸は張られへんことやけど、それでも俺は、ええ経験したと思いますよ」
「……うん」
「大変でしたね」
「……っ、」
 ねぎらいの言葉で、ついに涙腺が崩壊した。

 翌朝目覚めるなり、嶋本に言われた。
「良い夢見てたみたいですね」
 言われてみて思い返す。
「ああ。なんだか、有が爆笑していた」
 まるで、有にも許すと言ってもらえたようで。心が晴れやかになった。

 それから俺は、金縛りには遭わなくなった。


 壁

 

<< 100のお題特設ページへ