居酒屋からの道すがら。街灯も無ければ人気も無いその道で、嶋本はふいに「あ、」と声を出した。一瞬歩みが止まったのも、真田の気のせいではないはずだ。
「どうかしたのか?」
 聞けば嶋本は、けろりと答えた。
「何がですか?」
 自分は歩みを止めてなどいないし声も出してないし、その質問こそが「どうかしたんですか?」と聞きたい。本当にそんな様子で、嶋本は普段と変わらずに真田を見上げた。
「いや、なんでもない」
「そうですか」
 しかしそう言った嶋本からは、普段のようなその『何か』を気にする様子も心配する様子も伺えず、むしろ、若干満足そうな様子が伺えた。
 何かを隠している。
 真田は確信した。そしてその隠し事は、今までにも何度もしてきたのだろう、と予想をつけた。そうでなければ、動揺もせずに堂々となんてしていられない。何より、嶋本は嘘や隠し事を嫌う。何か理由があるのだろう。
 特に会話もしないまま五十メートル程歩いたところで、嶋本は少し後ろを振り返った。真田は嶋本の視線の先を追ったが、電柱と塀があるだけで特に気になるものは何もなかった。
「何か気になるものでもあったのか?」
「無いですねぇ」
「それならなぜ振り返った?」
「んー……。ねぇ、明日休みやし、もう一軒行きましょ」
「シマ、答えになっていない」
「店で答えますー。だから、ね?」
 言って嶋本は走り出した。百メートルもまっすぐ行けば、大通りだ。適当に歩けば居酒屋の一軒や二軒あるだろう。

 入った居酒屋は平日ながらになかなか繁盛していて、それでも体格が考慮されたのか、二人は四人がけの座敷に通された。嶋本は後ろ手に体重を預けて、いつもよりご機嫌そうだ。
「二軒目にカンパーイ!」
 ロックグラスと大ジョッキをガツンと合わせて、嶋本は勢いよくソルティドックを腹に流し込んだ。すっかりグラスを空にして、生大を追加する。真田はと言えばあまり飲んでおらず、嶋本を待っていたようだ。真田は目が合ったのを合図に、もう一度質問した。
「それで、なぜ振り返ったんだ?」
 嶋本は、んーと呻りながらきゅうりの塩和えに箸を伸ばす。一切れ口に放り込むと、「人がね、」と話始めた。
「人がね、おったんです」
「誰もいなかったぞ?」
「そう。誰もいなかったんです」
 ぽりぽりと、嶋本はきゅうりを噛みながら答える。
「酔ってるのか?」
「酔ってませんよ。あの程度で酔いませんよ」
 きゅうりを飲み込む。そしてもう一つ、次は大きめのきゅうりを一切れ、口に入れる。
「その前に真田さん、どうかしたのかって、聞かはったでしょ?」
「ああ、聞いたな」
「俺が、あ、って言うたの聞こえたから、聞かはったんですよね?」
「なんだ。気のせいじゃなかったのか」
「ええ。……、あ、って言うた時はね、確かに、おったんですよ」
 きゅうりを飲み込み、嶋本は店員が持って来た大ジョッキを受け取った。嶋本が関西訛りの「ありがとう」を言うと、店員は自然と笑みをこぼした。
「その人物が気になったのか」
 真田は店員が一礼したのを見届けると、話を再開した。
「んー、まぁ、気になったっちゃあ気になりましたけど」
 嶋本は次はたこわさに箸を伸ばした。ひとつ口に放り込み、こりこりと噛む。
「……シマ、やけに回りくどくないか」
「そうですね。回りくどくもなります」
「なぜだ?」
「信じてもらえるような話じゃないからでしょうね。まぁ、信じる信じひんは勝手ですけど」
「どういうことだ?」
 真田も、たこわさをくちにする。
「真田さん、非科学的なことって、信じます?」
「非科学……例えば?」
「幽霊や悪魔。それから、キ」
「キ?」
 嶋本は箸を置いて、ジョッキを手にした。
「気力の気。オーラでも良いですかね」
「……そうだな。信じる信じないというよりは、気にしたことが無いな」
「これはそういう類の話なんです」
「……嶋本が見たのは幽霊や悪魔だとでも言いたいのか?」
「悪魔は俺信じてませんけどね。てか日本に悪魔の概念がありませんからね。ああでも、悪霊とか怨霊とかゆう言い方すれば、同じものかな」
「それで結局?」
「霊、やと思います」
「霊……」
「俺も霊感強いわけやないからよくはわかりませんけどね。多分、霊です」
 真田は何と言えば良いのかわからず、口ごもる。嶋本はそんなことは気にせず、と言うよりは想定内だとでも言いたげに、さらりと言った。「真田さん、俺ら霊感無いわりに、人より霊感あるんですよ」
「どういうことだ」
「俺ら、海保大、潜水士になってから、特救隊に入ってから。人より相当鍛えられてますよね」
「そうだな」
「それがね、肉体だけなら別にどうってこと無いんです。でも俺らは精神まで強靭に鍛えられてます。これがどういうことかわかります?」
「いや……」
「気の流れが人より良いということです。逮捕術、合気道に似てますしね。あれは無意識でも良い気の流れを作り出します。他の武術もそうです」
「……しかし、それだけで?」
「ええ、友人から聞いた話ですけどね。……それで、気の流れが良いとどうなると思います?」
「……」
「じゃあ、『気』って、何だと思います?」
「気……」
「『気にする』とかしないとか、『病は気から』とか、言いますよね」
「……意識?」
「そうです。意識や意志。それを踏まえた上で、どうなると思います?気の流れが良いと」
「……わからないな」
「寄って来るんです、他の気が。丁度真田さんに、神林や石井がたかるようにね。優れたものには魅せられます。それは誰にでも発生する意識です」
「それが……。気が、霊だと言いたいのか」
「はい。あくまで意識ですからね。自分から放して留めることもできるでしょう。その気が、優れた気の流れを持つ人には形を持って目に見える。それが、霊」
「しかし、俺は今まで霊を見たことはないぞ」
「そりゃあ、気にしてなかったからです。何事も、『気』の持ちよう。信じて意識していれば、気はそのように流れます」
「……」
「そしてこの話を聞いた今、真田さんの霊感は少しだけですが、上がったはずです。そして、俺の霊感も」
「では、今の俺には霊が見えるのか?」
「見えません。俺がそう気を紛らわせているから。でも、真田さんが強く見たいと意識すれば……俺の意識よりも強く意識すれば、見えるでしょうね」
「……見えないようにするのはなぜだ?」
「そりゃ、見えないに越したことがないからです。見えたら真田さん、気にしちゃうでしょう?」
「するな」
「気にするということはどういうことですか?」
「……意識すること。その気の流れを作るということ」
「つまり?」
「霊が、寄って来る」
「そうです。俺らの霊感は微々たるものです。寄って来るものの方が強かったら、簡単に取り憑かれます」
 二人は食べることも飲むことも忘れて話をしていた。真田は前のめり気味になっていた姿勢を正し、ひとつ、息をついた。軽い調子で問う。
「もしかして、わざわざ居酒屋で話をしたのも、気に関係があるのか?」
 嶋本も、軽い調子で答える。
「話をすることによって、話し手も聞き手も気が強まります。人気の無い所で話をするなんて、取り憑いてくれと言ってるようなもんです」
「だが、霊はいなくなっていたんだろう? 何故だ?」
「簡単ですよ。俺がそいつを気にしなかったからです。だから向こうも俺への興味を失いました」
「……だが、振り向いたということは気にしていたということではないのか?」
「俺が気にしたのは、その場所に何かあるのか、ですよ。そいつを気にしたわけじゃない」
「じゃあ、その直後に俺が質問したときは?聞かれたことによって一瞬だが気にしただろう」
「俺が気にしたのは、真田さんがこの話を信じてくれるかどうかです」
「……じゃぁ、今は?ソイツなんて言い方をしているが」
「俺は今、そのソイツがどこかに行ったと確信しています。人が大勢いる場所には気は留まりにくいですし、好んで寄って来るものもいないでしょう。……まあ、これは俺の考えですけどね。それに何より、俺が気にしていない。だから平気です」
 真田は「凄いな」と呟くと、一気にビールを飲み干した。
「『気』が意識なら、そして『気』が惹かれあうものだというのなら、俺達が惹かれあったのは必然なのか?」
 嶋本の頬が赤くなる。
「……真田さんがそう思うなら、そうなります」

 強い意識と言うものは、自分をそちらへ導くから──





(おわり)

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