僕がいて、君がいる世界
「142円です」
嶋本はぴったり142円を出して会計を済ませると、後ろに並んで会計を待っていた真田を置いてそそくさとそのコンビニを後にした。
そそくさと。短い距離を早歩きで進んで。
その後は、真田が無理なく追いつけるだけの、亀のように遅いスピードで歩いた。
本当は、ちょっと駆け出してしまいたかった。気の済むまで走って、気の済むまで、声を出して笑いたかった。
真田が追いついてくるまでの我慢。嶋本は今にも緩みそうな頬を、必死で引き締めた。
「どうした」
やがて真田が追いついて、声をかけた。
「ちょ、」
嶋本は一音発すると、今にも笑い出しそうな情けない顔になった。
「見ました?」
「? 何を?」
「よしだ、っぷ」
よしだ。
「ああ、今の店員か」
名札にそう書いてあった。
「ええ」
「よしだがどうかしたか」
「いや、前々から思てたんですけどね、よしだ、めっちゃ美声ですやん」
嶋本はとても楽しそうに話す。
「……言われてみればそうだな」
「それでなくてもね、よしだ、接客するのにその髪の長さはオッケーなん? って言うような髪形なんすよ。それで、接客の感じも美声自覚しとるやないですか。こいつ絶対ナルやわ、思とったら、」
「ナル?」
「もうね、絶対ナルシストや思とったら、今日久々に見たらめっちゃ、髪伸びとって。え? 自分、どんだけナルシストなん? って思てしもたらもう、なんか笑けて」
「そうか」
「でもまあ、本人の前やし、めっちゃ耐えて普通にしとったのに、よしだ、ナルシストに磨きがかかっとって。語尾にね、キラリがついとって」
「きらり?」
「漫画とかでよくあるやないですか。目とか歯とかがキラーンって。あれ。あれがね、聴こえたんです」
「そうか」
「142円でぇす☆ ……ぷ、あかんっ」
「そうか」
「え、気になりませんでした? 俺めっちゃ気になったんですけど」
真田は思い返したが、声が小さく聞き取りづらい印象しか残っていなかった。
だけど。
そうか。それが、嶋本の視線。嶋本の世界。
「次は気をつけてみよう」
「お願いしますよ、ほんま〜! なんであんなおもろいもん見逃すんですか!! もったいな!」
本当に、もったいないことをした。いや、
「本当に、もったいないことをしてきたな」
真田はしみじみと言った。
今まで、多くの場所を嶋本と見てきたのに。きっと自分は、嶋本程多くのことを感じていない。
「悔しいな」
その言葉に、嶋本は「はい?」と頓狂な声を出した。
「どうして俺は、嶋本になれないんだろう」
すると嶋本は楽しそうに言った。
「そんなん、俺かて隊長になりたいですよ! 背ぇは高いし、顔はええし、神兵やし! アホみたいに頭ええし、アホみたいに体力あるし、アホみたいなアイディア出せるし! アホみたいにまっすぐやし!」
「それは褒めてるのか、けなしてるのか」
「え、めっちゃ褒めてますやん」
「そうか」
「あー。関西人の言うアホは、関東人の言うバカと理解していただいて差し支え……ないことはないか。アホみたいにっていうのは、ものすごくってことですよ」
「そうか」
「ええ」
そして会話が途切れ、五歩程進んだところで、真田が口を開いた。
「話がずれたな。嶋本と同じ目線で物事を感じたいという事だ」
その言葉に、嶋本は恥ずかしそうな嬉しそうな声を出した。
「それはねぇ、大事ですよ! 楽しい事なんてその辺にめっちゃ転がってるのに、見逃す手はありませんからね!」
そして嶋本は少し前に出た。照れ隠しだろう。しかし嶋本はうつむくことなく、少し上を向いている。視線の先を追えば、そこには眩しく広がる青空がある。
多分それが、今嶋本が見ている世界。
真田は歩みを緩めて、五メートル程距離を取った。
空と共に嶋本が視界に入る。
なんて美しい世界だろう。
きっとこれが、嶋本の感じている世界。
自分がいて、嶋本がいる世界。
(おわり)
