足らん
時々ね、酷く……物足らんくなるんです。
ソファに二人座って何をするでもなく過ごしていたが、嶋本の様子がおかしかったので、どうかしたかと聞いたら。ぽつり。そう言われた。確かに、嶋本を構成する要素の多くが、足りないような気がする。しかし、何が足りないのか明確にはわからなくて。ただ嶋本は、ぽっかりと。何か、穴が開いてしまっているような印象を受けた。
「何でしょうね。なんかこう、何かしたいねんけど、やる気が出えへんっちゅうか」
「矛盾しているな」
「別にやることもないし、何もせんでええねんけど、何かしたい。……けど、こう、気が向かんっちゅうか」
言ってる内容は先ほどと同じなので、相槌だけ打っておく。
「うん」
「んー……、何やろ。いろいろ、足りひん気はするねんけど。でも別に、心がぽっかりとかそういうわけでもなくて」
「うん」
「あーーーー、嫌や。このテンションの低さがまず嫌や」
「どうしてだろうな」
「ほんまや、もう! ……なんでやねん」
「うん」
うなずいて、嶋本の頭を自分の肩にもたれさせる。嶋本は素直に言うことを聞いて、されるがままに、頭を撫でられる。
「……足らん」
嶋本は呟くと、手を膝に乗せてきた。ごく自然な動作だった。意図するところは何もないのだろう。とりあえずその手に、頭を撫でる手はそのままにもう片方の手を重ねてやる。
嶋本はふいに、小さく、ふぅ、とため息をついた。珍しい。
「幸せの天使が死ぬぞ」
「あ、ほんまや」
以前基地でため息をついたら、嶋本が「ため息はあきませんよ。ため息ついたら、幸せの天使が死ぬんですって」となんだか楽しそうに言ってきた。酷く無邪気に、そして得意げに言ってきたものだから、何にため息をついたのか忘れてしまった。あのときは、一瞬で心に温かいものが宿って、なんだか幸せな気分になったものだ。おそらく、あのような状態が、嶋本に足りないものが無い状態なのだろう。
しかしその話題をだしても、嶋本はうつろだった。
そうだ、うつろ。
今の嶋本には、その言葉が一番ぴんとくる。
重ねただけだった手を、握り締める。ぎゅっと。ぎりぎり痛がられないだけの力で、ぎゅっと、握り締める。なんだか急に、不安になった。
「俺の幸せの天使は、今にも消えてしまいそうだな」
幸せの天使が死ぬからため息はダメだ、と言われたとき、俺は「大丈夫。俺の幸せの天使はちょっとやそっとじゃ死なない。嶋本はちょっとやそっとじゃ死なないだろう?」と返事をした。すると幸せの天使は逃げ出してしまったけれど、すぐに戻って来た。本当にものの数分で戻ってきて、俺にまた、幸せを振りまいてくれた。
それが今は、翼を拘束され、自由を失い、今にも消えてしまいそうだ。
そんな姿を見るのは……。寂しい。悲しい。辛い。悔しい。どの言葉が最も適しているのかはわからないが、とにかく『嫌』だ。
「……」
「嶋本?」
「消えるつもりも無いけど……」
「うん」
「幸せの天使、消えそうなんは、あきませんね」
「うん」
「真田さん、ため息付きすぎたんとちゃいます?」
「そんなつもりはないが」
「……うん、そうですね。俺も、あれから真田さんため息付くとこあんま見てへんし」
「うん」
「俺がツッコメば、笑顔見せてくれたし」
「うん」
言うと、嶋本は空いていた手を、握り締めた手に重ねてきた。こんなときなのに嶋本の手は、ふんわりと、温かさをもって包んでくれる。
「……無理は、あきませんよ」
「うん?」
「真田さんほんま、めったにため息つかへんし。ツッコンだらすぐ笑顔んなるし。……無理は、あきませんよ」
「無理なんてしてないよ」
「それに関しては信用できんなぁ」
「……大丈夫。俺はいつでも、嶋本に甘えてる」
「ええ〜。俺にはそんな意識ないし」
「嶋本に甘えて、嶋本から幸せをもらってる。……いつでも」
「まさか〜」
「今も……。不謹慎かもしれないけれど、今も。幸せだ」
「俺かて、幸せですよー」
まるでふてくされているかのようにそう言う嶋本の額に、ひとつ。キスを落とす。嶋本は驚いたように顔を上げた。間近で望むその顔はやっぱりうつろだけど。
ただひたすらに、嶋本が愛しい。こんなときだけれど、心配だけれど、それさえも幸せ。
「嶋本こそ、無理をしていないか?」
「無理……。してへんから、多分今こんなやと思うんすけどー」
「無理をしてきたから、今こんななんじゃないのか?」
「それこそ俺、真田さんに甘えてきてますもん」
「そうか?」
「ええ」
「そうか」
「ええ。……それやのに、なんでやろ。めっちゃ幸せやのに。なんか知らんけど、足らん」
うなずく代わりに、瞼にキスを落とした。
「……足らん」
次は鼻の頭にひとつ落とす。
すると、嶋本は急に顔を近づけてきた。少し顔の角度を変えれば、唇に、キスできる。
「せや、満たして?」
嶋本は何か思いついたかのようにそう言った。
「足りたいものがわかったのか?」
しかし嶋本はけろりと答えた。わかれへん。
「わかれへんけど、真田さんで満たされれば、俺、どうにかなると思う」
「どうにか?」
「うん。多分、真田さんでいっぱいになれば、幸せは満たされると思う」
まだ何か足りないまま、それでも嶋本はニコリと微笑んだ。
「今でも十分幸せやけど」
(おわり)
