カギ 1

 

 今日は久々に二人きりで呑んで帰るはずだった。それなのに真田といったら、「嶋本、すまないんだが」と、さほど悪びれた様子もなくキャンセルを申し出た。基地長から今日中の仕事を言い付かったらしい。仕事ならば仕方ないとは思う。しかしもっと、申し訳ないとは思わないのか。残念だとは思わないのか。自分はこんなにも残念なのに。あなたのその態度を疑問に思う程に残念なのに。

 うかれてたんは、俺だけか。

 嶋本は落胆して、「了解しました」とだけ返事をした。その後の訓練は、いつも以上に気合を入れて臨んだ。そうしなければやってられなかった。しかしふと気が付いた。手伝えば良い。二人ですればきっと早く終わる。時間は短くなるが、呑みには行ける。
「隊長、仕事、手伝いますよ」
「ん?」
「二人でやれば、早く終わりますよ」
「ありがとう。だが、嶋本の手を煩わせる訳にはいかない」
 手伝うと言っているのに、手を煩わせるだなんてとんでもない。それどころか真田は、早く終わることのメリットに気付いていない。嶋本は食い下がろうとしたが、真田が先に口を開いた。
「嶋本は帰ってゆっくりするといい」
 真田なりの優しさだ。それは嶋本が一番よくわかっている。しかし嶋本は今日、真田のために時間を空けておいたのだ。それなのに、一緒にいることすらままならないなんて。
「今日は真田さんのために時間を空けておいたんです」と言えたら、了解してもらえたかもしれない。しかしそんなセリフ、嶋本は恥ずかしくて言えるはずがなかった。
「わかりました」と返事をして、訓練に戻った。

 訓練が終わり、着替えも済ませると、嶋本はいち早く基地を出た。時間ができたのだ。どうせなら有意義に過ごそうじゃないかと、開き直っていた。しかし車に乗り込もうとしたところで、呼び止められた。真田だ。私服の嶋本に対し、真田は隊服のままだ。何も期待してはいけない、と嶋本は自分に言い聞かせる。
「今日はずいぶんそそくさと帰るんだな」
 誰のせいだ、と思う。思わず返事もそっけないものになる。
「一緒に帰る相手もおりませんからね」
「そうか」
「ええ。それで、用は何です?」
「ああ、これを渡そうと思って」
 そう言うと真田は、ポケットから鍵を取り出した。そっと嶋本の手のひらに乗せる。嶋本はきょとんと、真田を覗き込む。
「これ……」
「俺の部屋の鍵だ。今日はうちで呑もう」
「……」
「駄目か?」
「あ、いえ。真田さん昼間、帰ってゆっくりしろとか言わはったし、てっきり今日はもう流れたもんだと」
「ああ。だから、俺の部屋に、帰って」
 そう言って真田は、わずかに笑みを浮かべた。嶋本もつられたように笑顔になる。
「ほんなら、酒とつまみ適当に買うときますね。ちゃっちゃと終わらせて、早よ帰ってきてください」
「ああ。では、また後で」
「はい。お仕事頑張ってください」
「ああ」
 言うと真田は駆け足で基地へと戻っていった。嶋本は真田が基地に入るまで見届けて、車に乗り込んだ。

 昼間は勝手に落胆して、気持ちを疑ったりして。なんて軽率だっただろう。嶋本はそんな自分が恥ずかしくなったが、それよりも、今日一緒に過ごせる喜びの方が大きかった。









 真田の部屋の前に着いた。ポケットから手渡された鍵を取り出して、眺める。家主より先に入るだけなのに、なぜだろう、こんなにも緊張する。握り締め、一つ息をついて、自分を落ち着かせる。

 よっしゃ。

 鍵を差し込む。回す。ガチャリと音が鳴る。鍵を引き抜く。ドアノブを回す。手前に引く。真っ暗な室内が露になる。中に入る。ドアを閉める。少し迷って、鍵をかける。
 あれ、電気のスイッチどこやったっけ。
 真田の部屋になどもう何回も来ているのに、覚えていない。暗がりに目が慣れていないから、よく見えない。手探りでスイッチを探し当て、付ける。靴を脱ぎ、上がったところで、また疑問が生じた。

 真田さん、鍵いつもどこに置いてるっけ。

 テーブルなどにポンと置かれているのを見たことは無いから、玄関のどこかのはずだ。しかし、これと言って鍵のために設けられたスペースというのは見当たらない。しょうがないので、リビングまで持って入る。ソファーに荷物を置き、鍵はローテーブルに置くと、ビールを冷蔵庫にしまった。
 リビングに戻ると、ソファーには座らずに床に腰を下ろした。ローテーブルに突っ伏す様に上体を預けると、丁度鍵が視界に入った。電気に照らされて、鈍い光を放っている。手にとってまじまじと観察すれば、わずかに黄ばんでいて、くぼみにわずかな汚れが付いている。キーホルダーから一つだけ外されたのであろうそれは何の飾りっけもなく、無機質だ。何をするでもなく、そのまま鍵でもてあそぶ。鍵でテーブルを叩けば、カンともトンともつかない金属音が鳴る。ゆっくりリズムを取る。
 タン、タン、タン、タン……
 ドア、鍵かけたしな。あれや、新婚さんごっこ。
 タン。
 インターホンが鳴って、
 タン、
 俺は玄関まで駆けつけて、ドアを開ける。
 タン、
 おかえりなさいって言ったら、
 タン、
 真田さんのことやから、きっと笑顔でただいまって言わはる。
 タン。
 あかん、想像するだけでにやけるわ。
 タン。
 はぁ。
 タン。
 ……。
 タン、
 しっかしなんや俺、案外真田さんのことわかってへんかってん な。
 タン、
 昼間も、疑ってもたし。
 タン、
 スイッチの場所も知らへんし。
 タン、
 鍵の置き場かて知らへんかった。
 タン。
 でも、キッチンは大分把握してるし、
 タン、
 脱衣所のどこに何があるかだって把握してる。
 タン。
 でも、
 タン、
 それだけか。
 タン、
 真田さんと会ってからの月日の何倍も、
 タン、
 お互いを知らん月日がある。
 タン。
 こんなもんなんかな。
 タン。
 あ〜あ。
 タン。
 ……。
 タン。
 ‥‥。
 タン、
 タン
 ・・・・・

「シマ、嶋本、」
 目を開けると、斜め上に真田の顔があった。右肩には真田の手。
「へ? あれ??」
 いつの間にか眠っていたらしい。慌てて体を起こせば、「待たせたな」と声をかけられた。
「あ、おかえんなさい」
「ただいま」
 予想通り、真田は笑顔で言った。
 新婚さんごっこ。
「って、あれ? 鍵は? どうやって開けたんですか? ここあるのに」
「ここにもある」
 言って真田はキーホルダーを掲げた。チャリンと鍵が鳴る。
「それはお前のだ、嶋本」
 それを聞いた嶋本の顔が、一気に赤くなる。
「もらってくれるだろう?」
「……はい」
 俯いて、でも精一杯喜びを伝える。
「あ、ありがとうございます……!」
 真田が微笑んで、空気が揺れた。

 

カギ 2>>

<< くずばこへ