カギ 2
キーホルダーを眺める。一つ増えた鍵に真新しさはないけれど、多分、今までの貰い物の中で、一番嬉しい貰い物だ。
恋人の部屋の、合鍵。
時間も何も気にすることなく、予告なく部屋を訪ねて良いということ。家主が不在であれば、その鍵を使って上がって良いということ。自分の部屋同然に考えて良いということ。これは、恋人の証のみならず、最大の信頼の証。それを喜ばずに、何を喜ぼうか。
あの日は鍵を貰ってから、自分がどう動いたのか覚えていない。ただ、日付も変わる時間になったから「今日はもう帰ります」と言ったら、「その必要は無いじゃないか」と言われた。それだけは覚えている。
それっしか覚えてへん! もったいない……。
がくりとローテーブルにつっぷし、ため息を付く。
鍵を貰ったことにより、問題が生じた。自分も、鍵を渡さねばならない。
鍵を渡すのは全く問題ないのだ。ただ、普通に渡せるかどうか。それが問題だ。恥ずかしくて素直に渡せないことなど、目に見えている。かと言って何か演出を施すなんて、もっと恥ずかしくて尚更できない。
「それはお前のだ、嶋本。貰ってくれるだろう?」
あかん。あれはあかん。スマートすぎやって。格好良すぎやって。俺アホ面でポカーンなってもうたやんけ。あれはあかん。
思い出すだけで頬の筋肉が緩む。なんて、幸せなんだろう。
ああ、もうええわ。適当に渡そう。
それから嶋本のキーホルダーには、もう一つ、鍵が増えた。
嶋本が鍵を渡せないまま、二週間が過ぎた。渡せていないことが後ろめたくて、真田の部屋の合鍵もまだ一度も使われていない。
毎日毎日、今日こそは渡そうと真田に話しかけるが、なんだか気恥ずかしくて言い出せない。毎回毎回他の話を持ち出しては、その不自然さに優しい笑顔を向けられることになる。不自然さを気にかけないことを示す笑顔だとはわかっているが、だんだん、催促されている気分になってくる。俺は何も気にしていないよ。きちんと言ってくれるまで待つよ。そう言われている気分になってくる。
あかん、だんだん鬱になってきた。
ここが基地であることも忘れてデスクに突っ伏す。そこへバシンと、背中に大きな衝撃が走った。こんな風に構ってくるのは、一人しかいない。
「どうしたどうしたー? 最近様子がおかしいじゃねぇか!」
「ちょお考え事してるだけですー」
「考え事だー? 何を??」
「……どうしたら隊長みたいにスマートになれるか」
「お! 俺みたいにスマートになりたいか!」
「黒岩さんちゃいます!」
「わあってるよ! お前のタイチョーは真田だけだもんなぁ? しっかしあいつのどこがスマートなんだあ? ただのロボじゃねぇか」
「……ロボ扱いする人にわかってたまるかっての」
「おお? 生意気な口をきくのは、どの口だー? ああ? ったく。よっしゃ! 今日は飲みに行くぞ! 話聞いてやるYO!」
「聞いてもらいたい話なんてありません」
「俺が行くっつったら行くんだYO! いいな!!」
黒岩はもう一度嶋本の背中をバシンと叩くと、その場から離れていった。もちろん、本日の飲み会開催の旨を叫びながら。
飲み会は、話を聞くという口実のもとに嶋本をからかうだけで三十分が過ぎた。しかし次第に各々で盛り上がりはじめ、さらに三十分後には嶋本をからかう者はいなくなった。
「最近様子がおかしかったのは、こういうことだったのか」
「……違います。真田さんに言わへんのに、なんで黒岩さんに言うんですか」
「俺には言えないことかもしれないだろう?」
「でも、真田さんが一番わかってるでしょ。俺は真田さんに言いたいことがあるって」
「そうだな。……毎日何を言おうとしてたんだ?」
「……」
「まだ言えないのか?」
「……言いたいのは、山々なんですけどねぇ。どうも……」
「そうか。まあ、言えるときでいいさ」
「すんません……」
ふと目を覚ますと、眼前には真っ白い壁があった。いつの間にか帰ってきたらしい。昨日は相当酔ったのか、真田と話をしてからの記憶が無い。嶋本は痛む頭に響かぬよう、もそりと百八十度寝返りを打った。
暖かい。
抱き枕をがんじがらめにして再び眠りにつく。とくん、とくん、と、心地よい振動まである。最近の抱き枕は、高機能だ。
‥‥‥‥抱き枕?
がばっと体を起こし目を凝らす。
「っさ、真田さん!?」
「……ああ、起きたか、嶋本」
そして慌てて周囲の確認をする。うん。確かにここは、自分の部屋。そわそわきょろきょろしていると、寝ていた真田も流石に起きた。ゆっくりと上体を起こし、覚めきらない頭で嶋本に相対する。
「あのっ、あの、俺……」
「ん?」
「もしかして、放しませんでした?」
「いや?」
「ほな、なんで、おるんです?」
「駄目か?」
「いやいやいや!全然構いませんけど……」
「なら良いじゃないか」
「真田さん確か明日本庁に直行でしたよね。一旦帰らなくて良いんですか?」
「何故だ?」
「真田さん……寝ぼけてます?」
「ん‥‥?眠いな」
「寝ますか?」
「うん」
真田は返事をするともそもそと横になった。嶋本が掛け布団を真田の肩に掛け布団に潜り込むと、真田は当たり前のように嶋本を胸に抱え込んだ。
翌朝。
嶋本はどこか落ち着かない気配で目を覚ました。時計を見れば、まだ目覚ましが鳴る十分前。眠気を払うため首を回して、はたと思い出す。
真田さん! おらへん、帰ったんか?
狭い部屋を殆ど走るように慌てて出てみれば、真田はキッチンにいた。香ばしい良い匂いがする。
「真田さん!」
「ああ、起きたか。おはよう」
「おはようございます。すいません、作らせてもうて」
「良いよ、五分もかかってない」
朝食のメニューは、食パンにベーコンエッグ、サラダにヨーグルトらしい。そう言えば、冷蔵庫にろくなものが入ってない上にご飯も炊いていなかった。パンは二枚ずつだし他のものも結構な量が出されているが、きつい訓練をするのに昼までもつかわからない。
「……ろくなもんなくてすんません。そや、林檎あるから林檎も食いましょう。食物繊維で腹膨れるし、ヨーグルト先に食っとけば満腹感増しますし」
言いながら林檎を取り出せば、物知りだな、と言われた。
「前にテレビで見たんですよ。いかに満腹食べて痩せるか、みたいなんやってて。なんとなく」
「痩せたいのか?」
「まさか!」
「だが、少し痩せただろう?」
真田は器用に三皿持ちをしてキッチンを出て行った。嶋本は残りをトレンチに乗せ、残りの一皿も持ち追いかける。
「最近体重量ってないからわかりませんけど……。あ、俺昨日んこと覚えてないんですよね。もしかして、担いでここまで?」
「いつものことだ」
真田は軽く笑顔さえ浮かべて言う。そんな顔をされては、謝れない。真田は皿をテーブルに置くと、昨夜ぽんと置いたままのキーホルダーを端へとよけた。
朝食を取りながら、嶋本はふとキーホルダーを手に取った。合鍵をまだ渡せていない。もしかしたら昨夜、同じ鍵があることに気付かれたかもしれない。変に思われなかっただろうか。
「ない!」
「どうした?」
突然大声を上げた嶋本に、真田は冷静に声をかける。
「いや、その……」
「?」
「一個、無いんです。鍵……」
「何の鍵が無いんだ? 合鍵は無いのか?」
「いや、合鍵は、無いけど……。別に困らへんっちゅうか……」
「どういうことだ?」
あなたに渡すために作っておいた合鍵が無いんです。
しかしまさか、とてもじゃないけどそんなこと言えない。この二週間渡せずに途方に暮れていたのに、まさか無くしただなんて、格好悪すぎる。それなのに、真田は言えとばかりに覗き込んでくる。
「……この部屋の、鍵。……いい加減渡さな思て、ずっと付けとったんが……無いんです」
なんとか声を絞り出す。恥ずかしくて顔も上げられないのに、真田は、ああとそっけない声を出した。「それなら、ここにある」
「え?」
顔を上げれば、真田がポケットからキーホルダーを取り出したところだった。確かにそこには、渡せずに途方に暮れて無駄に見まくってすっかり形を覚えてしまった鍵がぶら下がっていた。
「あれ? なんで??」
「昨日お前がくれたんだ。同じのあるでしょ、片方真田さんのです、と」
「ええ! 覚えてへん!!」
「昨日は相当酔っていたからな。それで、これは俺が持っていても良いんだな」
「……はい」
「もしかして、最近話そうとしていたのはこのことか」
「はい」
「なんだ。俺はてっきり、合鍵が迷惑なのかと思った。一度も使ってくれないから」
「まさか! めっちゃ嬉しかったですよ! やから俺も、早よ渡そ思ったのに、なんや、恥ずかしくて」
「恥ずかしくて、二週間?」
「ああもう、言わんでください!」
嶋本は顔を真っ赤にして食いかかる。真田は少し嶋本をからかってから、声のトーンを落とした。
「しかし、困るな」
「え? 迷惑ですか?」
「そうじゃない」
「?」
「これから、どっちに帰ろうか」
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