悪魔 1
真っ白な天井、糊のきいた掛布で、嶋本は自分が病院にいることを思い出した。まだ回らない頭、また閉じそうな瞼、痛む体。もう一度眠ってしまおうと思ったが、視界の隅にいる人物も気になった。
「あなたは……?」
聞くと、その人物は一歩前へ出て軽く嶋本を覗き込んだ。
まだ覚醒しない嶋本は、その顔から何も読み取ることは出来なかった。ただ、整った顔立ちの男だと思った。
「俺は、」
男が口を開くと、音もなく、真っ黒な翼が男の後ろに広がった。
「悪魔だ」
これは夢だ。そう確信した嶋本は瞼を閉じた。うすれゆく意識の中で、「お前に用はない」と悪魔が言った。
退院して、包帯も取れた嶋本は、久々に大型書店へと赴いた。夏休みだと言うのに全く予定が入っておらず、何か暇つぶしが出来るものはと考えたら、本とゲームしか思いつかなかった。
何かよさそうなものがあれば買おうとジャンルを問わずうろつく。すると、ライトノベルコーナーに石井を見つけた。石井はこちらに気付いていないらしい。どうしてやろうかと考え様子を伺っていると、石井の頭の向こう側に何かが見えた。目をこらすと、信じられないものに見えた。
白い翼の小人が飛んでいる。
嶋本は気付くと石井に駆け寄っていた。
「ぅわ、嶋本さん」
石井は驚きよりも嫌そうな様子が大きかった。普段であれば頭をはたくくらいはする嶋本だが、今回はそんなことはどうでも良かった。
石井の肩の辺りに浮いているのは、姿こそ違うが、悪魔を名乗った者だ。
「こんなところで何やってんねん」
嶋本は悪魔に聞いた。
「え、嶋本さん、見えるとですか。真田さん、姿見えとるごた」
石井が慌てた様子で言った。しかしこれで察しがついた。真田は石井の了解を得て行動を共にしている。そして、他の人物には自分の姿は見えないとでも言ってあるのだろう。
「お前、こいつが何者かちゃんとわかってんのか」
嶋本は悪魔に聞くのはやめて石井に聞いた。
「何って……天使でしょ?」
「悪魔や。俺の前には悪魔の姿で現れ悪魔と名乗った。なんで天使がそんなことする必要がある。お前は騙されとる」
「まさか……」
石井は信じない。
嶋本は悪魔を睨みつけ言った。
「俺に用無いんやったら、そいつに憑りつくな」
すると悪魔は一つ頷き、病室で見たあの姿になった。そして、身を翻したかと思うと、姿を消した。
夏休みが終わりまた充実した日々を送れると思った嶋本だったが、やはり毎日が退屈で、何か物足りなく感じた。
夏休みも感じていた。以前は毎日こんなに退屈だっただろうか。そんなはずはないと確信して思い返してみるが、どれだけ記憶を辿ろうとほとんど一人きりの退屈な毎日を送っている。
食堂で一人昼食をとっていると、ふいに周囲がざわついた。何事かと顔を上げると、入り口に、神林と、人間の姿をした悪魔がいた。端正な顔の人物に、女子たちが色めき立つ。
堂々としたものだ。
しかしそれならばこちらもこそこそする必要はない。嶋本は二人がテーブルを確保したのを見計らって、二人の下へ移動した。
「おう、神林」
「あ、嶋本さん! こんにちわ」
「いいか?」
トレーを掲げて見せると、
「いいですよ! ね、真田さん!」
と、神林は真田が断るなんて思いつきもしない言い方だ。
「はい、どうぞ」
真田は他人行儀で、初めまして、とでも挨拶が続きそうだったので、嶋本は頭にきた。
「以前もお会いしましたね」
その言葉に反応したのは神林だ。
「そうなんですか! 偶然ですねぇ!!」
「お前はどこで会ったん?」
「普通にゼミですよ! 病気で1年休学してて、10月から復帰したんですって」
神林はやたら嬉しそうに話す。そもそも人を疑うことを知らないのだ。
この悪魔、人となりをわかった上で憑りついている。嶋本はそう考えた。
「神林、お前は人を信じすぎる。騙されんなよ」
「え、急になんですか」
「そいつが信用ならん言うてんねん」
「ちょ、失礼じゃないですか!」
神林は慌てて真田のフォローに回ったが、真田が何の反応も示さないためかえって困惑したようだった。
「こいつに何かしてみろ。少なくともこの大学にはおられんようにしたる」
言い捨てると、嶋本はその場を後にした。
その後も悪魔は神林と行動をともにしていた。
悪魔は嶋本に近づかなくなった為、嶋本は真田が悪魔であることの説明を試みたが、神林は全く信じなかった。それどころか、どんどん悪魔を尊敬していく。
神林は、嶋本に会えば真田のことばかり話す。
真田さんすごいんですよ。真田さん何でも教えてくれるんですよ。真田さん優しいんですよ。真田さんいい人ですよ。
「どこが信用ならないんですか」
「完璧な人間がいてたまるか。言うたやろ。あいつは悪魔やて」
「だから、それが意味わからないんですって。なんで真田さんを嫌うんですか。真田さん、本当は嶋本さんと前みたいに話をしたいって言ってましたよ。真田さん、嶋本さんのこと、すごいって、尊敬してるって、いろいろ話してくれましたよ」
「は?」
「何があったか知りませんけど、俺、二人に前みたいになってもらいたいです」
「だからお前は信じすぎやねん。俺があいつと会ったのは、食堂が3回目や」
「なんでそんなに意地を張るんですか」
言って、神林は突然咳込みだした。
「おい、大丈夫か」
「すいません。最近ちょっと体調よくなくて」
とぎれとぎれの返事に、嶋本は思わず背中をさすった。
そして驚いた。神林は、細い割にしっかりと筋肉がついていたはずだ。それが、ほとんどない。
「病院は行ったんか」
「行きましたけど、異常なしでした」
その答えに、嶋本は確信した。悪魔の仕業だ。
しかし神林は悪魔を真田という人間であると信じて疑わない。近づくなと言ったところで意味がない。
神林の咳が落ち着いたところで嶋本は口を開いた。
「真田と話するわ」
「ほんとですか!」
「電話番号教えろ」
「はい!」
嶋本の真意を知る由もない神林は、大きな目を輝かせて返事をした。
(つづく)
