ハネダの鐘つきカビ人間 1

 

 むかしむかしある所に、謎の疫病が蔓延している町があった。
 ある者は膝に痛みを覚え、ある者は終始血圧が上がり下がらなくなった。またある者は背中から柿の木が生え、ある者は背中から天使の羽が生えた。王も疫病にかかり、王なのに偉そうにできなくなった。
 しかしこの疫病、症状によっては悪いことばかりではなかった。
ある者は突然目が異様な程に良くなり、禿に悩んでいたある者は突然髪の毛が生え出した。動物から嫌われていた動物好きの男は、指に小鳥がとまるようになり喜んだ。
 そんな中で、最も辛い症状に犯されているのが、カビ人間。
 彼は疫病により、その姿が見るもおぞましいカビ人間になった。一目見れば誰もが逃げ出す程の醜い姿になった。誰も口をきいてくれなくなった。まれに誰かが声をかけてくれたと思えば、それは聞くに堪えない悪口だ。

 世界の全てから見放され、生涯の孤独を約束された。それが、カビ人間。

 ゴーーーン……
 ゴーーーン……

「ただいまお昼の10分前。ただいまお昼の10分前。お昼が来るまであと10分。つまり10分後には、この町はお昼に入りまーす。このお昼を逃せば、次のお昼までお昼は抜き。市民の皆さんは、決してお昼を逃さないよう、お気をつけてー」

 ゴーーーン……
 ゴーーーン……

 正午10分前の鐘を突くこと。それがカビ人間に与えられた仕事。
 小高い丘にある教会に、その鐘はある。その鐘は町中のどこからでも見えるので、もちろん、鐘つき堂からは町全体が見渡せる。豊かな自然に囲まれた、小さくのどかな町だ。
 そんな絶景を独り占めできるこの仕事が、カビ人間は嫌いではない。
 しかし、カビ人間は意思疎通の仕方がいまいちよくわからない。感情の表し方がいまいちよくわからない。昔はどうしていたかを考えようにも、なぜだろう。何も思い出せないのだ。
 だから、鐘を突いて、正午10分前の旨を町中に届く声で叫ぶものの、いつも棒読みだ。
 さて、お昼だ。
 一仕事終えたカビ人間が地上へと階段を下りていると、見慣れない人物が何やら探し物をしていた。カビ人間は歩みを止め、階段からその様子を眺めた。その人物は、ふいに走り出したかと思うと、5歩程で歩みを止めしゃがみ込む。そして何やら摘み取っては、ぽいと投げ捨てる。それを繰り返している。よくよく見てみれば、投げ捨てられたのはクローバーだ。
「やあ」
 カビ人間は声をかけた。見慣れない人物は声に気付き不安そうに辺りをきょろきょろ見渡したが、カビ人間はまだ階段の高い所にいたので気付いてもらえなかった。
「クローバーか」
 カビ人間はもう一度声をかけた。見慣れない人物はまた少し辺りを覗ったが、やはりカビ人間を見つけられなかった。しかし見慣れない人物は、一つこくんと頷いた。だからカビ人間は構わずに話をすすめた。
「四葉のクローバーをお探しか」
 見慣れない人物はこくこくとうなずいた。
「あと4歩前、2時の方向。そこにはいつもある」
 すると見慣れない人物は、一歩、二歩、三歩、四歩。丁寧に歩みを進め、ゆっくりと、右斜め前に体を向けた。少し探して、あった。ぴょんと屈み、丁寧に四葉のクローバーを摘み取った。
 カビ人間はその様子を確認すると、階段を下った。背が低くて髪がふわふわしているこの可愛らしい人物と、もっと話がしたい。そう思った。
 可愛らしい人物が、四葉のクローバーを手に満足そうに立ち上がった。しかし同時に可愛らしい人物は驚いた。カビ人間がすぐそこまで来ていることに気付いていなかったのだ。
 しかしカビ人間は構わずに話しかけた。
「この辺りの事なら何でも知っている。あの上が仕事場なんだ」
 こんにちは。と、カビ人間は右手を胸に添える丁寧で優雅なお辞儀をした。
 可愛らしい人物は、指さされた方を見上げた。そこにあるのは、この町唯一の教会の鐘。
「……カビ人間?」
 可愛らしい人物は挨拶もせずにそれだけを言うと、カビ人間のつま先から頭までを一瞥して再び口を開いた。
「ぴったりやん」
 そして次の瞬間、何か思い出したような、はっとしたような表情になって、可愛らしい人物は走ってその場を去って行った。
 その後ろ姿を眺めつつ、カビ人間は少しうなだれた。可愛らしい人物の、声に、表情に、軽蔑の念が含まれていた。
 いつもの事だ。皆自分を嫌うじゃないか。
 そうは考えてみても、なぜだか今回はいつもの何倍も心が痛んだ。





 日曜日の午前中、教会ではミサが行われる。カビ人間は、皆が自分を嫌っている事を知っているので、この時ばかりは鐘つき堂に籠る。鐘つき堂で、目を閉じて、一心に耳をすまして、賛美歌に、神父の言葉に集中する。そうすると、自分はいつかきっと救われるのだと、信じることができる。世の中まだまだ捨てたものじゃないと、信じることができる。
 人々のざわめきが聴こえてきたら、ミサ終了の合図。カビ人間は、人々のざわめきが聴こえなくなるのを待って、教会へと入っていった。ミサを終えた誰もいない教会で、ようやく神様の前で祈る。それがカビ人間の習慣になっている。
 しかし今日は、祈りの途中で誰かが入ってきた。軽やかな、だけど落ち着いた足音が、ゆっくりと近づいてくる。カビ人間は慌ててその場を去ろうとしたが、気付かれずに立ち去るには、背が高すぎた。誰かの驚いた際の小さな小さな息遣いが、静寂に包まれた教会には、とても大きく響き渡った。カビ人間はその息遣いに、思わずそちらを向いてしまった。そして、立ち去る意思が、一瞬にしてなくなった。入ってきたのは、あの時の可愛らしい人物だ。対して可愛らしい人物は急いで立ち去ろうとする。
「待て!」
 カビ人間は慌てて声をかけた。しかし可愛らしい人物はもちろん止まってくれない。
「待ってくれ! 頼むから」
 すると、可愛らしい人物は、戸惑いを隠せないままに、立ち止まってくれた。背中を向けたままだが、カビ人間にはそれで十分だ。
「この前の、ぴったりとは、何だ?」
 聞くも、可愛らしい人物は返事をしないどころか、微動だにしない。そこでカビ人間は、話題を変えた。
「この前、あなたは逃げなかった。他の人は俺を見ただけで逃げ出すのに、あなたは、逃げないだけじゃない、声までかけてくれた。ありがとう」
 すると、可愛らしい人物はカビ人間の方に向き直った。
「んん?」
「嬉しかったから、ありがとう。あなたは今も、逃げずに話を聞いてくれている。ありがとう」
 すると、可愛らしい人物は、すごく嫌そうな顔になった。そして、右手を自分の胸に置いて「シマ」と言った。しかしカビ人間には何のことだかさっぱりわからない。するともう一度、「シ・マ!」と強く言われた。
「しま?」
 復唱すると、可愛らしい人物はひとつ頷いた。カビ人間は少し考えて、閃いた。
「あなた、と言われるのが嫌だったのか。申し訳ない、シマ」
 すると、シマは、一つ大きくこくんと頷いた。
「それで、ぴったりとは?」
 カビ人間は話を戻した。しかしその質問を聞くなり、シマは視線を逸らした。
「シマ」
 カビ人間が呼ぶと、シマはまた背中を向けてしまった。
「シマ……」
「……」
 気まずい沈黙が生じた。どうしたものかと考えていると、神父が現れた。
「何やってんだー? カビ人間、まさかお前、この人に何かしたんじゃないだろうな?」
 神父は言いながら、シマの肩に手を置いた。シマは慌てて神父にお辞儀をすると、逃げるように去って行った。
「あーあー、びびっちゃってんじゃないの」
「しかし一ノ宮さん、彼は」
「しかしじゃないの。カビ人間に話しかけられたりして嬉しい人なんていやしないんだから。二度とこんな真似すんじゃねぇよ。おら、仕事しろ」
「仕事と言っても、お昼にはまだ早すぎます」
「わかってないねぇ。神はいつでも我々を見ておられる。神は、真面目に仕事する姿を見ておられる。仕事をないがしろにするんじゃない!」
「しかし」
「お前に幸福が訪れないのは、神はそのような姿を見ておられるからだ。しかもお前は、献金もしない! 神がお前に救いの手を差し伸べるはずがないじゃないの」
「献金……」
 カビ人間は慌ててポケットの中を探った。
 一枚の紙幣と、数枚の硬貨があった。硬貨を渡そうともたついているうちに、神父に紙幣を奪われた。
「あ……」
「神は喜んでおられるよ」
「そうですか!」
「わかったなら、仕事に行きなさい」
 カビ人間は、嬉々としてその場を後にした。献金をした。いつかきっと救われるに違いないと、満ち足りた気分になった。そのまま鐘つき堂へ向かうと、鐘つき堂への階段に、シマが腰掛けていた。
「シマ」
「とんだ天才やなぁ、カビ人間」
「どういうことだ?」
 その問いに、シマはおもむろにカビ人間の手を取り目の前に掲げてみせた。その手には、数枚の硬貨が握られたままだ。
「ああ。これまで俺に救いの手が差し伸べられなかったのは、献金しなかったからだそうだ。お祈りだけでは足りなかったのだな」
「やから、天才や言うてんねん!」
 シマは怒りをあらわに手を振りほどき叫んだ。しかし、カビ人間にはシマがなぜこのように怒っているのか、さっぱりわからない。何も言えずにいると、シマは一つ舌打ちをして駆け出した。
「待って!」
 カビ人間は慌てて叫んだが、シマが立ち止まることはなかった。

 

※カビ人間が真田です。わかりにくくてすみませんorz

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