ハネダの鐘つきカビ人間 2
ミサの翌日、カビ人間はお昼の鐘を鳴らし終えると、シマの家まで行くことにした。
カビ人間はあの後、鐘つき堂へ上がって、遠ざかるシマをずっと見ていた。鐘が、この町のどこからでも見えると言うことは、つまり、この鐘つき堂からはこの町全てが見渡せるという事。見失いさえしなければ、家を知ることなど容易かった。
「こんにちは!」
ノックをして、大声であいさつをした。すると、ドアがゆっくり開かれた。出てきたのは、よぼよぼの老人だ。よぼよぼだが、その体格から、昔はガタイが良かったことが一目でわかる。
「どちら様かな?」
その問いに、カビ人間は答えることができなかった。だって、カビ人間だと名乗ってしまえば、追い返されるに違いない。
「わしは目が見えんでの。どちら様かな」
「……」
「わしは目は見えんが、人がいれば手に取るようにわかるよ。どちら様かな」
「……名は、ありません。シマに、会いに来ました」
カビ人間は勇気を振り絞ってそれだけを言った。
自分の軽率さに後悔した。自分の無礼さに憤った。
「素性もあかさんような奴を相手にする云われはないでの」
言って老人はドアを閉めようとした。カビ人間は慌てた。
「カビ人間です!」
気付いたら、名乗っていた。一瞬後悔したが、嘘の名を言ったとしても、もしこの先シマと会えた時にその嘘はすぐにばれると思い至った。だから、これでいい。
老人は、ドアを閉める手を止めた。
「カビ人間? よりにもよって、その名を使うか」
「嘘ではありません。本当に、カビ人間なんです」
「ほお……」
「……まさか、自分がカビ人間であることを信じてもらえない日が来るとは思いもしませんでした」
その悄然とした声に、老人はガハハと笑った。
「あいにく、シマは今出かけておるよ」
「そうですか」
カビ人間はそれだけ聞くと、くるりと踵を返した。
「カビ人間、帰るのであれば急げ。そろそろ昼食を終えた町の者達が外へ出る時間だ」
その言葉に、カビ人間は涙が出そうになった。こんなに優しい言葉をかけてもらえるだなんて思いもしなかった。
シマがいなくても、きっとまた来よう。
カビ人間は、そう心に決めた。
しかし、嬉しい気持ちは、すぐに消し去られることになった。
「カビ人間!」
呼ばれて振り返ると、そこには美しくも凛々しい女性がいた。女性はおびえもせずにずんずん寄って来て、こう言った。
「神父に聞いたわ。昨日シマに何をしたの」
「何も……」
「本当に? あの子、帰ってきてから一言も口をきいてくれなかったのよ」
「少し、話をしただけだ」
「何を話した」
「……とんだ天才だと言われた。それだけだ」
「とんだ天才? ……そうね。あなたは何もわかってないみたいね。まったくその通りだわ」
「どういうことだ?」
「カビ人間には関係ないことよ。とにかく、シマに二度と近づかないこと。いいわね」
言うだけ言って、女性は去って行った。カビ人間はわけがわからないままその背中を見送ると、なんと女性がシマの家に入っていった。そういえば、「帰ってきてから」と言っていた。きっと家族に違いない。
それにしても、近づくな、だなんて。ご老人には温かく迎えられた気がしたのに。
カビ人間は、カビ人間の分際で温かく迎えられるはずがないことを思い出して、思い上がっていた自分が恥ずかしくなった。
カビ人間は、パンを買いに町へおりた。鐘つきでもらう僅かのお金を握り締め、今日必要な分だけを買いに行く。明日・明後日の分まで買わないのは、売ってもらえるパンがいつも固くてカビが生えているからだ。だから、少しでも新鮮なパンが食べられるように、カビ人間なりにあがいている。
パン屋への道すがら、あの優しいご老人を見つけた。目が見えないはずなのに、杖も持たず、手を後ろにくんで歩いている。
「こんにちは、おじいさん」
思わず声をかけてしまった。昨日の今日だ。後悔したが、その後悔はすぐに吹き飛んだ。
「ああ、カビ人間か。こんにちは」
挨拶を返してもらえた。それだけで、カビ人間はとても幸せな気分になった。
「これからどこかへ行かれるのですか」
「いいや、ただの散歩じゃよ。体力があっと言う間に衰えるからの。わしはこれでもまだ40なんじゃ」
何かの冗談だろう。しかしカビ人間には冗談に冗談を返すだけの会話能力が無い。返事に困っていると、ご老人がこう言った。
「疫病は進行するばかりじゃ」
「おじいさん……」
カビ人間は言葉を失った。冗談ではなかった。なんて、残酷な疫病だろう。
「おじいさんじゃない。黒岩と呼んでくれ」
しかし、ご老人、いや、黒岩は明るかった。その様子にカビ人間は、なんだか朗らかな気分になった。
そのまま黒岩と歩いていると、いつの間にやらシマの家の前まで来ていた。あの女性には近づくなと言われたが、ここまで来たからには、会ってしまおうとカビ人間は考えた。
「黒岩さん」
「なんじゃ」
「シマはいますか」
「会いたいのか」
「はい」
「会わん方がええ」
「なぜですか」
「お前のためじゃ」
「会いたいんです」
「やめとけ」
押し問答していると、ドアがひとりでに開いた。いや、ドアを開けたのはシマだ。
「おやじ?」
シマはカビ人間に気付くと、驚いたような顔になり、一歩後退した。その様子を察して、黒岩はカビ人間に「わかったじゃろう?」と言った。
「驚きはしても、喜びはせん。帰れ」
「しかし……!!」
カビ人間がなおも粘ろうとすると、思いがけない言葉が聞こえてきた。
「来い!」
それは、まぎれもなくシマの言葉だった。
「ほら、呼んでる」
カビ人間は嬉々として黒岩に言った。しかし黒岩は「だめじゃ」と言って通してくれない。
「早く来い!」
シマが言った。
「うん!」
カビ人間はなんとか黒岩の横を通ろうとするが、黒岩も一歩も引かない。
「早く! 早く!!」
シマが叫んだ。
しかし、その叫びが悲痛なものであることにカビ人間は気付いた。シマは、今にも泣き出しそうな顔をしている。わけがわからない。
一つだけわかることは、近づかない方が良さそうだという事。
カビ人間が脱力してその場に立ち尽くすと、シマは家の奥へと駆けて行った。
「わけがわからない」
カビ人間が呟くと、黒岩は「その方がいいこともある」と言って、ドアを閉めた。
カビ人間はその日、パンを買うことも忘れて教会へ戻った。教会へと戻る道すがら、カビ人間はあの女性の「シマに近づくな」という言葉を思い出していた。
