ハネダの鐘つきカビ人間 13

 


 ゴーーーン……
 ゴーーーン……

 鐘の音に、辺りは静まり返った。お告げのとおりならば、町中の者が罪を悔い改めたならば、奇跡が起きる。

 しかし何の変化も起きない。
 いや、一つだけ変化はあった。鐘の音に続くいつものカビ人間の言葉が、一向に始まらない。
 シマは、辺りを見渡した。盤の背中には変わらず天使の羽がついている。下を見ても、黒岩はよぼよぼの老人のまま。何より、歓喜する者がいない。
 奇跡は、起きていない。
 シマは視線をカビ人間に戻した。
 カビ人間は縄からそっと手を離すと、軽く辺りを見渡した。そして、言った。
「ここは……、鐘つき堂ですよね? なぜ私はここにいるのでしょう」
 シマはそれには答えずに、右手をそっと伸ばした。
「頭」
 わけがわからなくともシマのしたいことを大体察した彼は、軽くかがんだ。
 シマは、そっと彼の頭を払った。
 はらはらと、緑色のものが舞い落ちた。
 シマは手を戻すと、一つ深呼吸して口を開いた。
「甚さん、ですね?」
「はい。あなたは?」
「シマと言います。あなたは、疫病でカビ人間になっていました。俺の疫病も、どうやら治っとるようです」
「それで、なぜ私はここにいるのでしょう」
「そこから下を見てみてください」
 シマの言葉に、甚は素直に従った。
 甚が鐘つき堂から姿を現すと、下の者達は思い出したように罵倒を浴びせた。
「カビ人間、お前のせいだ! お前のせいで奇跡は起きなかったんだ!!」
「だから出て行けと言ったんだ!」
「お前はいったい、皆にどれだけ迷惑かければ気が済むんだ!!」
 しかし甚は全く動じない。シマは甚の背中に話しかけた。
「それはあなたの罪です」
 その言葉に、甚は半身だけシマに向けた。「罪?」
 シマは一つ頷いた。
「町の皆が罪を悔い改めれば、鐘の音で奇跡が起きて、皆の疫病が治ったはずなんです。しかし治らなかった。皆、奇跡が起きなかったのはあなたのせいだと言っています」
「そうですか」
 返事をして、甚は再び下を見た。罵倒を、一心に受ける。その背中に、シマは言った。
「あなたのしてることは、誰のためにもなってませんよ。あなたのしてることは、自己満足だ。あなたのためにすらなってない」
 しかし甚は微動だにしない。
 シマはもどかしくなって、甚の腕を掴んで乱暴に自分の方に向かせた。
「お前のせいで、皆現実から目を背けるようになった! 現実から目を背ける罰として、この町には疫病が流行った! 俺とお前だけ先に疫病が治ったのが良い証拠や!」
 感情的なシマに対して、甚は至って落ち着いていた。
「どういうことですか」
「……この奇跡のネックはカビ人間でした。カビ人間には甚の記憶がなかったので、罪を悔い改める以前の問題でした。でも、このタイミングでカビ人間だけやなくて俺も疫病が治った。これは多分、甚を説得するためや。甚を罪と向き合わせるためや。神はちゃんと、皆に罪を悔い改める機会を与えようとしとるんやと思います。この奇跡は、あなたが罪を悔い改めんことには起きひんのです」
「なぜそう言えるのですか」
「この町の人達は、皆同じ過ちを犯しているそうです。この他に何か心あたりはありますか」
 その問いに甚は黙り込んだ。しばらくして顔を上げると、甚はしっかりとシマを見据えた。
「俺は、どうすれば良いのでしょう」
「簡単です。俺は何もしてない、と主張すれば良いのです。皆現実と向き合わざるをえないでしょう」
 シマがニッと笑って見せると、甚は下の者達に向かって叫んだ。
 もとより賢い甚なので、わずかな言葉で町人達を黙らせていった。
 そして、「カビ人間!」と横から入ってきたのは、やはり神父だ。身振りで鐘をつくよう指示を出す。
「カビ人間の仕事は、鐘つきです。さあ、鐘をついてください。正午をすぎてしまうと、奇跡は起きない」
 シマに背中を押され、甚は縄を握った。甚は鐘を見上げて、シマに視線を移した。シマが一つ頷いてみせると、甚は縄を引っ張った。

 ゴーーーン……
 ゴーーーン……

 シマは、盤の背中から羽が落ちる瞬間を目撃した。黒岩も、真っ白だった髪が黒くなり、よぼよぼだった体はがっしりとした元の筋肉質な体に戻っている。隣にいる兵悟も何やらはしゃいでいるので、きっと治ったのだろう。
 町人達も、徐々に騒がしくなってきた。しかし様子がおかしい。ほとんどの者は治っていないようだ。
「治った! 治ったぞ!」
「嘘だ! 俺は治ってない!!」
「俺も治ってない!! なんでお前だけ治ってるんだ!」
 その騒ぎに、神父がわざわざ鐘つき堂に上がって一喝した。
「治ってねぇ奴らは、罪を悔い改めてねぇやつらだ! 皆が罪を悔い改めなくとも神は奇跡を起こして下さったんだ! ありがてぇ話じゃねぇか!!」
 神父は町人達が静まり返ったのを確認すると、面倒そうに教会へ入っていった。

「シマ」
 甚が呼んだ。甚は振り返ったシマの手を取り言った。
「奇跡が起きた!」
 嬉しそうに言う甚に、シマは一緒には喜べなかった。
 本当は、カビ人間の記憶をなくしてなんてほしくなかった。今ここにいる甚は、カビ人間と同一人物だけど、カビ人間ではないのだ。これからやり直していく自信がないわけではないが、シマはどうしても少し寂しかった。
「まあ、奇跡起きてへん人もおるみたいですけどね」
 そっけないシマに、甚は「違う!」とやはり嬉しそうに言った。
「奇跡は二度起きたんだ!」
「ええまあ、そうですね」
「だから! 俺に! 二度目の奇跡が起きたんだ!!」
「……は?」
 意味がわからずに呆けるシマを、甚は力いっぱい抱きしめた。
「ありがとう。甚の目を開かせてくれて。同じことを続けずに済んだ」
「……もしかして、カビ人間?」
「うん。厳密には、カビ人間の記憶がある甚、だ」
 シマは慌てて甚の腕の中から逃げた。だって、こんな展開思いつきもしなかった。
 こんな展開になるなんて思いつきもしなかったから、自分のことなど忘れ去られると思っていたから、「お前なんか大嫌いや」なんて叫んだのだ。鐘の音に紛れてはいたが、届いたのだろうか。届いていれば、これからそういうことになるのだろうし、届いていなければ、きっと返事を聞かれる。
 いやいやいや。そんなん、こっ恥ずかしいにも程があるわ!
 だけど。
「シマ」
 呼ばれると、反射のように振り返ってしまう。
「シマ、俺は、君が好きだ」
 甚の言葉に、シマは顔を真っ赤にして、振り返ったばかりなのにまた背中を向けた。
「シマ、君の気持ちを聞かせてほしい」
 しかしシマは背中を向けたまま何も言わない。甚は再び懇願した。
「もう一度、聞かせてほしい」
 もう一度って! 聞こえとったんかい!!
「シマ」
 甚はシマの肩に手を置いたが、すぐに振り払われた。
「お前なんか、お前なんか、大っ嫌いやーーー!!」
 叫んで、シマは逃げ出した。
「……素直じゃないな」
 甚は、笑顔でその背中を見送った。


 その後、疫病は少しずつ少しずつ治っていっている。
 シマは黒岩の看病の為にこの町に来たので、黒岩の疫病が治ったからにはもといた国へ帰ろうとしたが、甚がそれを許さなかった。シマは今、甚と共に診療所で働いている。
 
 ゴーーーン……
 ゴーーーン……

「ああ、もうそんな時間か」
「どっかで奇跡が起きとったりして」
 ウヒヒと笑うシマに、甚は大真面目に答えた。 「起きているかもしれない」
「ええ〜」
「昨日の彼に」
「ああ〜、どうでしょうね。改心すりゃ良いんですけど」


 昔々あるところに、優秀な二人の看護士がいる診療所があった。
 その診療所が、奇跡が起きる診療所として噂になるのは、もう少し先のお話。

 

(めでたしめでたし)

 

<<ハネダの鐘つきカビ人間 12

Main>>