ハネダの鐘つきカビ人間 12
あっと言う間にセントスティーブンスデイはやってきた。奇跡が起きるかもしれない日だが、町中の者は皆奇跡を諦めていた。良くないことばかりではない疫病だ。治らなくても良いと考える者が出るであろうことは、ミサの二日後には町中の者が気付いていた。それでも、町中の者が教会へと集まったのは、奇跡の有無を見届けるためだ。
しかし事態は一変した。
「天使だ!」
「我々を哀れんだ天使が降りてきてくれたのだ!」
盤の登場に、盤の疫病を知らないほとんどの者が歓喜した。
「天使が来てくれたのだ! 奇跡が起きないはずがない!!」
歓喜していない者は、疫病に治ってほしくない者だ。鐘つき堂周辺は一瞬にしてパニックに陥った。疫病に治ってほしくない者、疫病に治って欲しい者が対立したのだ。
「治らなくていい! 疫病のままでいい!」
「私利私欲のために町人達を犠牲にするのか!」
「ついさっきまで奇跡を諦めてたくせに何を偉そうに!」
「この苦しみを知らないからそんなことが言えるんだ!」
「知ったことか! 俺は過ちを犯していない! だから苦しくない疫病なんだ!」
「俺だって過ちなんか犯していない!」
面倒なことになった。さて、どうしようか。と考えていた盤に、一人の町人が声をかけた。
「そう思いますよね! 天使さん!」
その言葉に、周辺でわめいていた者までが静かになった。しかし盤には何を『そう』思うのかさっぱりわからない。その者の話など聞いていなかった。それでも、一つだけわかることがある。それは、都合の良い発言ばかりが聞こえてきて、苛々するということ。
「結局お前ら自分こつしか考えとらんやろうが! なん勝手ばっか言うとっとか! いがみ合っとって奇跡ば起きるはずなかろうもん!」
言うだけ言うと、盤は空へと逃げた。
シマが鐘つき堂に着いたのは、鐘の時間少し前だ。この人ごみの中黒岩を一人にするのはさすがに心配で、シマは黒岩と行動を共にしていた。
鐘つき堂に着いて、シマのみならず黒岩までが驚いた。
「お前がいたら奇跡が起きない! この町から出て行け!」
集まった町人たちが、鐘つき堂に向かって口々にそのようなことを叫んでいる。奇跡は起きないものとして、皆諦めていたのではなかったか。
「シマさん! 黒岩さん!」
二人して立ち尽くしていると、どこからか兵悟の声が聞こえてきた。辺りを見渡すが二人には兵悟を見つけられない。仕方なくその場で待つと、程なくして兵悟が現れた。
「シマさん、黒岩さん」
「おう」
「どうした、慌てておるのぉ」
その声から、黒岩は兵悟が何か慌てていることを察した。
「盤君が逃げたんです!」
「逃げたとは?」
「盤君を知らない人達が盤君を天使だと思い込んで、天使が来たんだから奇跡は起こるって騒ぎ出したんです。それなのに盤君、中途半端に煽って飛んで行っちゃって」
「それでこんな状態なのか」
答えた黒岩に、シマは耳打ちをした。自分のかわりに黒岩に質問をしてもらう。
「カビ人間はここからは見えんようじゃの。鐘つき堂におるのか?」
「さっき来ました。こんな状態なので、すぐ姿を隠しましたが」
それを聞いて合点がいったシマは、兵悟に黒岩をまかせて走り出した。人ごみをするりと抜けて向かった先は、もちろんカビ人間のもと。町人達がそのつもりでいるのならば、あとはカビ人間だけだ。
しかし鐘つき堂への階段を何段か上ると、勘違いをした町人たちが階段へとなだれ込んだ。
「そうだ! カビ人間を引っ張り出そう! 続け!」
その言葉にシマは慌てて振り返った。
「せや! 来い!」
思わず叫んで、シマはその瞬間に後悔した。今自分が口を開けば、事態は悪化するばかりだ。
しゃあない。カビ人間が引っ張り出されるよりましや。
シマは身構えると、先頭きって走ってきた者の片腕を掴み、背負い投げをした。続いて上がってきていた者が一人巻き込まれたが、雪崩にはならず大事に至らなかった。それを確認して一息ついたところで、投げられた者が怒髪天を衝いて起き上がり、矛先をシマへと変えた。シマは力任せに繰り出される拳を、器用に避け、器用に受け流す。しかし対する者が、一人、また一人と増え、さすがに厳しくなった。と思いきや、シマが背後に何か気配を感じたのと同時に、町人達は急にしおらしくなった。カビ人間かと振り向けば、そこにいるのは盤だ。羽を大きく広げたまま、苛ついたような表情をしている。
「お前ら人ん話聞いとらんかったとか!」
一喝すると、盤はシマに目を向けた。
「ようわからんけど、奇跡ば起こしてくれるとでしょ。こっちはオイが……ひとまず黙らしときますけん、カビ人間ば」
そして盤は羽を閉じて二歩前に出ると、再び羽を開いた。ちょうど、町人達とシマの間に壁を作った形になる。シマは小生意気な盤の頭を一つ小突くと駆けていった。その様子を見ていた町人達は急におろおろしだす。
「あなたが間に入るなんて、あの人も天使ですか?」
「いやしかし羽はなかったぞ!」
「じゃあもしかして、神様?」
町人達のその言葉に、盤はにやりと笑ってみせた。
「神というよりは、鬼ばい」
鬼のように厳しくて、だけど本当は誰よりも優しい。盤は、シマがそんな人物であることを知っている。だから盤は仕方なくシマを手伝う事にした。
カビ人間は、鐘つき堂の隅に座っていた。シマに気付いても、全く動こうとしない。シマも普段なら隣に腰掛けるところだが、今回ばかりは、鐘つき堂に上がるなり、叫んだ。
「奇跡なんか起きひん!」
耳をつんざくようなその大声は、下で騒いでいる町人達を押し黙らせた。
しかしそれはほんのわずかの時間で、町人達はすぐにまた騒ぎだした。
「何言ってるんだ! 奇跡は起きるんだ!!」
「お前、カビ人間の味方か!」
「お前もこの町から出て行け!」
「カビ人間! お前がいたらろくなことがない! いい加減にしろ!」
しかし、シマは町人達を相手になどしない。
シマはただ、なぜ言い返さないのか、カビ人間に聞いた。
「言い返すも何も、俺がいては奇跡が起きない事は事実だ」
「どさくさにまぎれて、ほんまの事言うてるやつもめっちゃおるやん」
「いつものことだ」
「それがええことやとは思わへんのか?」
いつもとは違うシマの厳しい声に、カビ人間は僅かに眉根を寄せた。
「言い返すから、皆ほんまのこと言うて来るんちゃうん? 皆が皆好都合なことお前のおかげにするん、お前がとやかく言い返すからちゃうん?」
カビ人間は何も言わない。しかし目をそらしもしない。シマは真正面から言う。
「カビ人間になる前の話してへんよな。カビ人間になる前と、違うことしとると思わへんか? カビ人間は厳しい。けど、カビ人間の厳しさは、皆のためになる。俺、思わへんねんけど、それがお前の的確さとちゃう?」
「的確さ?」
カビ人間からようやく出た言葉に、シマは大きく頷く。カビ人間は珍しく考え込んだ。
「的確……。的を射て間違いでない事。……間違っていること」
そしてもう少し考えて、カビ人間は「ああ、」と声をもらした。
「俺が全てを甘んじていること、昔の俺が甘かったこと。それが、罪」
その言葉にシマは頷いた。そして言った。
「カビ人間、奇跡は起きひん。悪魔の登場で町中の皆が奇跡を諦めた。お前は的確さわからへんし、奇跡は起きひん!」
しかしその言葉に、カビ人間は良い顔をしなかった。
「奇跡が起きても、俺は罪に気付いていない甚に戻る。きっとまた同じ事を続ける」
「そんなん、俺がさせる!」
シマは即答した。
「俺、言ってへんよな。もし何も起きんかったとしても、俺だけはお前を疑う、て」
しかしシマのその言葉に、カビ人間はよりいっそう顔を歪ませた。
「今の俺には、カビ人間になる前の記憶がない。奇跡が起きれば、昔の記憶が戻って、今の記憶がなくなるかもしれない。そんなのは嫌だ」
その言葉に、シマは決心が揺るぎそうになった。カビ人間が自分との記憶をなくしてしまうことは、できることなら避けたい。本当は、忘れられたくなんてない。
だけど、
「俺は、お前に、一人になってほしい。おれは、お前に、不幸になってほしい!」
カビ人間は、思いがけない言葉に何も言えなかった。沈黙が生じたが、少しして神父の声にかき消された。
「カビ人間!」
呼ぶ声に、カビ人間はようやく腰を上げた。神父の見える位置まで移動すると、カビ人間は一つ頷いた。神父は、身振りで鐘をつくよう指示を出した。
「カビ人間! つけ!」
シマはすぐさま叫んだ。まだ、奇跡が起きる条件を充分に満たしていない。
しかしカビ人間は鐘をつくべく縄に手をかけた。
「つけ! さっさとつけ!」
カビ人間は両手を縄にかけたまま、シマの方を向いた。
「俺は、鐘つきカビ人間だから。鐘をつかないただのカビ人間は、この町にいる理由がないんだ」
その言葉に、シマは首を横にふった。
「カビ人間。お前は醜い悪魔の僕。お前を受け入れる世界など、この世のどこにもない! 皆はお前をすばらしい男だと言う。皆は、お前に勝る者はいないと言う。皆はお前を慕い、お前を愛す。でも、カビ人間。俺だけは……! この俺だけは! 心からお前を憎む!!」
カビ人間は笑顔になると、ぽろりと漏らした。
「シマ。俺は、君の事が、とても好きだな。」
そしてカビ人間は、縄を引いた。
「俺は、お前なんか大嫌いや……!! 奇跡なんてくそくらえ!」
シマは叫んだが、その声は鐘の音に紛れた。
