ハネダの鐘つきカビ人間 11
ふと目が覚めると、眼前には見覚えの無い景色が広がっていて、シマはしばらく自分の状況がわからなかった。わからないまま寝返りをうつと、端整な顔がすぐそこにあってようやく思い出した。
「おはよう」
「お、おやすみ!」
シマは慌てて起き上がった。
「……寝てんねやったら、寝かしてくれたら良かったのに」
見られていたのかと思うと恥ずかしい。その思いは胸に隠して、シマは昨晩のことを振り返った。なぜこんな状況なのか覚えていない。
昨晩はカビ人間のうちで話をした。自分が何をしてしまったのか知りたがっていたカビ人間に、シマは飲み屋の主人から聞いたばかりの話をした。他にも話をしたような気がするが、はっきり思い出せずに考えていると、
「昨晩、話の途中で寝てしまったんだ」
心の中を読んだかのように、カビ人間が言った。
「ベッドで良かったのに」
ベッド一つに大の大人が二人、狭かったろうに。しかしカビ人間は穏やかな顔で言った。「温かいから」
「寒いと寂しい。けど、温かいととても穏やかな気持ちになれる」
寒いと寂しいだなんて、シマは考えた事もなかった。寒いと、手が冷たくなって足が冷たくなって顔が冷たくなって耳が痛くなる。そんなものだと思っていた。
「昨日、シマの肩に置いた手を退けられなかった。悲痛な顔をしていたけれど、温かくて、心が満たされるようで、この温もりを逃したくないと思った。人がこんなに温かいなんて、知らなかった」
シマは頷いて、カビ人間の手を取った。こんなにも純粋な人なのに、ずっと一人ぼっちだったのだ。いたたまれなくなって、シマは伝えずにはいられなかった。
「一人や。カビ人間は、一人や。やから、この冷たさは、絶対になくならへん」
その言葉に、カビ人間はくすぐったそうに微笑んだ。
「人が、こんなに柔らかなことも知らなかった。全てを包んでくれるようで、安心する。だから、良く眠れた。幸せって、こういうことなんだろうと思った」
「ほんなら!」
シマは景気づけに元気な声を出した。
「もっと不幸んなろか! パン売ってくる!」
ニヤリと笑うと、シマはベッドから飛び降りた。
シマは大きな紙袋を抱えて鐘つき堂へやってきた。カビ人間の「おかえり」に答えず、おもむろに紙袋を渡した。
「温かい」
カビ人間の言葉にシマはこくんと頷いた。中を見たカビ人間は、みるみる驚きとも喜びともとれない表情になった。
「焼きたてのパン、こんなに」
「熱なる前にゆっくり食お」
そして二人はパンにがっついた。
パンが冷め残り少なくなった頃、教会へと訪れる町人が目立つようになった。今日はミサの日。それにしても
「少ないな」
シマが呟けば、カビ人間がきょとんとした。
「聞いてないのか? 今日は神様のお告げが聞けるんだ」
次はシマがきょとんとした。神様のお告げと言ったって、必ずためになるわけでもなかろうに。お告げを聞くためならば、普段教会へ足を運ばない者さえ訪れるというのか。
「ここの神父は胡散臭いけど、お告げはきちんと聞ける人だよ」
「ふぅん」と、それでも半信半疑のシマに、カビ人間は一言付け加えた。
「百発百中」
「ほんま〜」
「ほんま!」
慣れない方言に二人して笑って、ミサの時間を待った。そのまま鐘つき堂から様子を覗っていたが、知人で来ていない者を探す方が大変な程に参列者が多いので、シマはカビ人間の言葉を信じざるをえなかった。
「行かなくていいのか? 黒岩さんも五十嵐さんも来ている」
間もなくミサが始まるというのに、鐘つき堂から動こうとしないシマにカビ人間は聞いた。その問いにシマはひとつこくんと頷くと空を仰いだ。
「席空いてるやろうし、空気良いやろうし。ここ聞こえへんねやろ? ほんならここは嫌や」
「うん」
風に吹かれて気持ち良さそうに言うシマに、カビ人間はなんだか幸せな気分になった。今日はきっと良いことを聞けるに違いない。そんな予感がして、少し早いけれど耳をすました。
いつもより多い人々のざわめきはどこか浮き足立っている。あまりに落ち着かない空気は、きっと子供達のものだ。初めてミサに来た子もいるだろう。初めて教会に来た子もいるだろう。大集合した友達に、お告げなんかより遊びたくて仕方が無い子もたくさんいるだろう。
だけどそんなざわめきと空気が、次第に弱くなっていった。神父が現れたのだ。
いつものようにミサは進み、再び空気が落ち着かなくなったところで、お告げの話になった。
「この町を巣食う疫病は、神より与えられし罰である。今や町人の9割が疫病にかかっているが、皆同じ過ちを犯している」
その言葉に一瞬だけざわめきが起こった。
「しかし神はこうもおっしゃった。皆が過ちを認め悔い改めたならば、聖なるスティーブンスを二分せしめし時にやや早く打たれし鐘で奇跡を起こそう」
その言葉に再びざわめきが起こった。セントスティーブンスデーと言えば、この町一番のお祭りの日だ。その日に奇跡が起きるならば、こんなに素晴らしいことはない。
「治るんだ!」カビ人間は嬉々としてシマに言った。
「疫病が治るんだ! 普通に話せるようになるんだ!!」
しかしシマは難しい顔をして返事をしない。
「シマ……?」
「神は相当お忙しいと見える」
その声には怒気が含まれている。
「良いことばかりやないのがこの疫病や。治って欲しいやつもおるやろ。そいつら、過ちを認め悔い改めるで。奇跡が起きひんはずがない」
何より、疫病になって喜んでいる者皆までが過ちを悔い改めたところで、奇跡が起きるはずがないのだ。記憶のないカビ人間だけは、自分の犯した過ちに気付くことすらできないのだから。
ちっ。
シマは舌打ちをして立ち上がった。
「帰らへん」
奇跡を起こす気などないとしか思えない神に腹が立ったシマは、早々に教会を後にした。
