なリス 4

 

 清々しい朝だ。空は青々としていて、風も穏やかで、普段どおりに出勤してみれば、基地の少し手前から絶え間なくガシャンガシャンと騒がしい音が聞こえてきて。
 ……。
 清々しい朝のはずだ。
 今日は良い事がありそうだとさえ思った。それくらい清々しかったのに。
まさかと思いつつ基地へと向かうが、その音は基地から聞こえてきているようで、近づけば近づくほど音は大きくなる。
 ドアの前で一つ息を付いてから、入る。
「おはようございます」
「おはようございます」
 基地内は落ち着いていて、何か起こった様子はない。ただ、昨日の当直隊はどことなく覇気が無い。
「疲れているようだが、何かあったのか?」
 真田がそう聞けば、隊員は音のするほうを指さした。こまごまとしたものが雑然と置かれていたはずのそこは小綺麗に整頓され、空いたスペースには五十センチメートル四方程のケージが置かれている。そしてそこには、ひたすら反復横飛びをする、シマリス。騒がしい音の正体だ。
「基地長が連れてきたんです。これからここで飼うんですって」
「……。それで、何をそんなに疲れているんだ?」
「そいつ全然人に慣れてなくて、扉開けた途端脱走されまして。捕まえるのに十人がかりで二時間かかりました」
「まあ、この様子だから、このリスが機敏なのは判断できるな。外に出したら捕まえるのに苦労することは予想できたはずだ。なぜ出した?」
「なぜってそりゃあ、触りたかったんですよ」
 隊員は憮然と答える。その様子からも相当な目にあったのだろうと容易に想像できる。
「では、扉を開けないように周知しなくてはな」
 肩をぽんと叩き、お前の苦労は無駄にしないよと言外に示して、真田は更衣室へと向かった。 
 そして隊服に着替えた真田が一階へと降りてきたそのとき、耳をつんざくような大声が木霊した。神林と石井が二人して叫んだのだ。
「何しとうとね兵悟君!」
「何だよ、触りたいって言ったの盤君じゃないか!」
「オイは触りたかって言っただけで、開けろなんて言ってない!」
 二人は言い合いながらリスを追いかけるが、リスは二人を嘲笑うかのように手の間をするりするりと抜けていく。
「ドアと窓を閉めろ!」
 そう叫んだのは黒岩だった。真田は隊員達がその声に従ったのを確認すると、黒岩に聞いた。
「昨日、捕まえるのに十人がかりで二時間かかったというのは本当ですか?」
「本当だ。すばしっこいだけならまだしも、頭が良い。視界も広いから、真っ向勝負じゃ話にならねぇ」
「へぇ。それで、昨日はどうやって捕まえたんです?」
「死にもの狂いで追い込んださ。上下左右後ろが壁の箇所を作ってな。……だが、今回はそれも無理らしいな。警戒してやがる。たったの一回で学習したってか? 嫌味な奴だ。さて、次はどう捕まえるかな」
「追って駄目なら追わないだけです」
 言うと真田は一人、席に着いた。引継ぎができそうな様子でもないので、メールボックスをチェックする。黒岩は構わずに話しかける。
「だが、それで自分からケージに戻るわけでもないだろう」
「ええ。だから黒岩さんも追ってください」
「どういうことだ?」
「俺が無害であるとわかれば寄って来るでしょう」
「まさか。相手は動物だぞ?」
「でも、頭が良いんでしょう?」
「しかしだな……」
「いいんじゃないですか。どっちにしろ捕まえる努力は出来てるんですから」
「……わあったよ。じゃあ俺はあっちに加勢してくる」
 黒岩は呆れたようにそう言うと、追いかける集団に加わった。
 男達の野太い声と、時々何かがひっくり返るような音で、基地が騒がしくなってから約二十分後。不意に静寂が訪れた。
「あ」
 神林が思わず声をもらす。リスが、真田の左のつま先から膝、腰、右肩へと、するすると登っていったのだ。真田はそっと、左手をリスの方へ差し出す。リスは少し警戒しながらも、左手へと乗り移った。真田はそれを確認すると、左手を慎重に自身の顔の前へと移動させた。できるだけ無心で、目を合わせる。
 大きなアーモンド形の目は自信に満ち溢れていて、すっと通った鼻筋はまるで気高さを表しているようだ。目を囲むようにして入っている縞は力強く、耳と髭をピンと立てて、きっと警戒は怠っていないのだろう。それでも真田は右手を伸ばした。そっと背中に触れる。何度か撫でると、リスは気持ち良さそうに目を閉じた。真田はその隙を逃さずに両手でがっちりとリスをホールドした。
  途端にリスは暴れだしたが、遂に逃れることはできなかった。


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