アイカギ 2

 

 あれから、真田が嶋本の部屋を訪れなくなった他はそれまで通りに続いていた。いや、嶋本が真田の部屋を訪れる回数だけでいえば、大分増えた。真田は毎回笑顔で迎えてくれたから、嶋本はその笑顔を見る度にほっとした。自分はここにいて良いのだと、自分に言い聞かせることができた。
 それなのに今日は、あからさまに嫌そうな顔をされた。
 何かしてしまっただろうか。
 不安が襲い掛かる。
 今日は、真田は訓練で嶋本は休みだったので、嶋本は真田宅で風呂を沸かし夕飯を作って待っていた。それだけだ。これまでも、何度もしてきたこと。
 真田は定位置に腰を下ろすと、テーブルに並べられた夕飯を眺めて言った。
「いつもすまないな」
 しかしそれは労をねぎらうものではなく、困ったような言い方だ。もうこんなことはしないでほしい、と言外に物語っている。
「……迷惑ですか?」
「そんなことはない。助かっている」
「ほんなら、」
 今の言い方はなんですか。なんて、とてもじゃないが言えない。嫌われたくない。
「良かった。食べましょ」
 嶋本は勤めて明るく言った。両手を合わせ「いただきます」と言えば、真田もそれに続いた。しかし空気は重い。
「今日はどうでした? 神林は使えるようになってます?」
 嶋本は必死に場を和まそうとしたが、それは片付けに入っても無理だった。二人でキッチンに立ったが、その間に至っては終始無言だった。カチャカチャと食器が当たる音だけが空しく部屋中に響いていた。
 食器も全て片付け終えると、真田が口を開いた。しかしやはり、空気は重い。
「嶋本、毎日毎日ここまでしてくれなくて良い」
 恐れていた拒否の言葉だ。でも、嫌われたくない。離れたくない。その想いが、嶋本を冷静にさせる。
「なんでですか?」
「嶋本にも、することやしたいことがあるだろう」
 自分を想っての言葉にほっと一息つく。しかし、そんな当たり前のことを言われるとは思っていなかった。少しムッとしたが、何とか耐える。
「やることはやってます。これがやりたいことやからやってます」
 すると真田はまた、困ったような顔になった。
「こんなことをさせたくて、恋人になったわけじゃない」
 わかりきっていることを、また言われた。嫌われたくなくてしていることを、『こんなこと』と言われてしまった。努力を、無碍にされた。
 ふつふつと湧き上がってくる怒りとも悲しみともとれない感情を、嶋本は拳を握ってなんとか押さえ込む。しかし、顔はあげられない。きっと、酷い顔をしている。
「そんなん、当たり前です」
「だから、ここまでしてくれなくていい」
「俺は別に、してあげてるんちゃいます。やりたいからやってるんです。それでも、駄目ですか」
「嶋本……」
「迷惑やったら迷惑やって言ってください。もう……、しませんから」
 そう言うと、真田は少々慌てた様だった。そんなはずないじゃないか! と、語気を強めた。
「俺はただ、俺のために何かを犠牲にしないで欲しいだけだ」
「犠牲?」
 その言葉に、押さえ込んでいたものが一気に溢れ出した。
「好きな人を想って何かをするのに、犠牲が生まれますか!? 好きでやってるのに、なんでそんな言い方されなあかんのですか!」
「嶋本……」
 真田は嶋本の肩に手を置いた。しかし、下を向いたままの顔はあがらない。
「それやったら俺は、どうすればええんですか。……嫌われたないだけやのに」
「嫌うわけないじゃないか」
「……」
「嫌われたくないのは、俺の方だ」
 その言葉に、嶋本はゆっくりと顔を上げる。まさか真田がそんなことを言うとは思わなかった。
「それやったら、合鍵、なんで……」
「言っただろう。妨げになる、と」
「なってませんやん! 俺の方が、妨げなってるみたいや……」
 再び俯いてしまった嶋本に、真田はゆっくりと話しかける。
「嶋本。お前は今、良い状態だろう?」
「……は?」
 脈絡の無い言葉に、嶋本は思わず顔を上げる。
「仕事だ。隊長職に慣れ、いい感じに身が入っている。傍から見ていてそう思う」
「はぁ」
「しかし俺は、それを妨害してしまいそうになる。……醜い独占欲だ」
「え……意味がわかりません。どう繋がるんですか、仕事と独占欲。……てか、独占欲!? ぇえ??」
 嶋本は、それこそ真田とは無縁だと思っていた言葉に驚愕した。
 対する真田は、『醜い独占欲』と言っているだけに、本心を話すことが恥ずかしいのだろう。珍しく、目をそらしている。
「……最近基地で会っても、するのは挨拶と引継ぎくらいで、他の話をしないだろう?」
「あ〜、そうですねぇ」
「インドネシアに行く前までは、お前は何かと話しかけて来てくれていた」
「はぁ」
「……」
 真田の言葉が続かないので、嶋本は考えた。

 つまりどういうことや? ……基地で俺が話しかけへんから寂しいってことか?? それはちょっと、いや、大分嬉いやんけ。……って、ちゃうやん。ちゃうやん俺。俺、めっちゃ不安になっててんで。それやのに……。それやのに……

「何? 寂しかっただけですか??」
「だけ、とは何だ」
「ぇえ? 何それ?? それで、何で妨げになるんすか? 別にならへんやないですか」
「なるじゃないか。俺が話しかければ、お前の今の状態が崩れるだろう?」
「ぅぇえ?? わかりませんやん、そんなの」
「そんなの、とは何だ」
「ん? でも、それと合鍵がどう繋がるんですか?」
「基地で話せない分、嶋本の部屋を訪れることが極端に増えるだろうと思って」
「え……。それは、今の俺の状況はどうなるんすかね」
「そうなんだ。俺は嶋本の手を煩わせたくなかったのに、結果的に同じことになってしまった。いや、不安にさせてしまったな」
 その言葉に、嶋本はシンクにぐったりと体重をあずける。
「なんや、そんだけのことやったんか」
「それだけ、とはなんだ」
「俺の不安に比べたら、それだけのことですやん!」
 すると真田は、本当に申し訳なさそうに呟いた。
「すまん……」
「ええです! 謝っていらん!! いらんから、これ、持っとってください」
 言って嶋本は、自分の部屋の合鍵を取り出した。いつでも渡せるように、キーホルダーに常備していた。
 差し出した鍵の下に、真田の手が伸びる。
 その手に鍵をぽとりと落とすと、チャリンと小気味良い音がした。

 

(おわり)

 

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