You are the apple of my eye. 1
死んでしまった方が、楽なんじゃないかと思う。きっと、諦めがつくだろうから。
愛する人と会わずに、半年。酷く、酷く長い、半年。そんな半年を、もう一度過ごさねばならない。年が経つにつれ短くなっていっていたはずの一年間が、今年は、小学生の頃の様に長い。
どうして――
考えてみる。
あの頃、一年間がなぜあんなにも長かったのか。あの頃は、わずか45分の授業が酷く長くて、休み時間が待ちどおしかった。体育の時間が、給食が、昼休みが、放課後が。いちいちが、待ちどおしかった。春は夏が待ちどおしくて、6月くらいからは夏休みを楽しみにしていた。二学期が始まった瞬間から運動会が待ちどおしくて、運動会が過ぎたらクリスマスが待ちどおしかった。
中学に上がってからは……そうだ。部活動と定期テストで、のんびり何かを待ってなんてられなかった。この頃から、時間に追われるようになって、待ちどおしいなんて、言葉も忘れていっていた。
今も、時間には終われている。ただ、それが不規則で、何も無いときは本当に何も無い。その上、側にいて欲しい人が側にいない。会いたい。そう考えれば考える程、次に愛する人に会える日が待ちどおしくなって、毎日が、一日一日が長くなる。
ため息が、増える。
「ハァ……」
「どうした? 最近ため息が多いな」
「そうですか? どうもしませんよ」
愛する人に会いたいなどと、とてもじゃないが言えない。だって、二人とも当たり前のようにこの一年間を受け入れたのだ。こうなることは分かっていたはずなのだ。それを、半年経った今、言えるはずがない。
でも確かに、今が、辛い。
自分の、愛する人で構成されている部分がぽっかりと空いていて、多分、今の自分は、自分じゃない。愛する人がソコにいるということが当たり前で、もはや自分は、愛する人なくしては自分たりえないのだ。
それなのに、今は遠く。
果てしない程に、遠く。
愛する人は、遠く。遥か海の向こう。
海が繋がっていることも、空が繋がっていることも、同じ月や太陽がそこにあることも、何の慰めにもならない。
愛する人が、手の届く場所にいない。自分の一部が、在るべき場所にない。それが、紛れもない事実。
会いたい。
会おうと思えば会えるはずなのだ。しかしそれが、多くの要因によって叶わない。
もどかしい。
会えるのに、会えない。
会いたい。諦めがつかない。
会いたい。会えない。
辛い。
辛い。
ふと、あの時と、どちらが辛いだろうかと考える。
――西海橋。
必ず生きて帰ると約束していて、生きて帰ったあの時。生きた心地はしなかった。ただ、助かってから、死ななくて良かったと、心底思った。
死んでしまった方が楽だとは思う。だって、辛くないから。
だけど。
今逃げて、二度と会えなくなるよりは。
この、今にも全身から溢れ出そうな想いを、一滴も溢すことなく、あと半年、留めて。
半年後、あなたに会えた時。あなたで構成されていた部分に、またあなたがするりと入り込んできた時。今のこの愛しさと虚無感をあなたが入ってきた分だけ溢れ出させて、思いのままにこれからを期待する方が。ずっとずっと、きっと考えられないくらい、幸せ。
あと半年、もどかしくて辛い思いをしなければならないけれど。
〜〜〜〜〜♪
携帯電話が鳴った。
「もしもし」
「嶋本……」
「めずらしいですね、電話なんて」
「声が、聞きたくて」
「そうですか」
「ああ」
「……」
「半分経った」
「……」
「あと半年だ」
「…………」
「嶋本?」
「……っ、たいちょ」
「ん?」
「つらい。あいたい」
あ、涙まで溢れた。
