ハネダの鐘つきカビ人間 4

 

 カビ人間は、ショックと混乱で長い間上の空だった。
 シマから心底嫌われている。面と向かって、興味がない、話なんかしたくない、と言われた。そして、シマが傷ついたような顔になった。カビ人間はそれが、悲しくて情けなくてショックで仕方が無かった。
 そして、自分を嫌っている町中の人は、自分をバラのように美しいと言っているらしい。未来の自分を愛しているから、嫌っているらしい。まったく、わけがわからない。
 だけど、そんなことはどうでも良い。気になるのは、シマのあの顔だ。なぜ、自分はシマにあんな顔しかさせられないのだろう。
 カビ人間は、シマにあんな顔をさせないためには、シマの前に姿を現さないことしか思いつかなかった。
 朝、鐘つき堂に並べた石が七つになっていてカビ人間は驚いた。一週間経っていた。今日はミサの日。石を放り投げて、今日またシマが来るかもしれないと思い至った。
 シマに会わないように気をつけないと。シマが空を見上げた時、鐘と共に自分の姿が視界に入らないようにしないと。
 カビ人間はその日、鐘つき堂から出ない事にした。
 しかし、正午10分前の鐘をついた5分ほど後に、思いがけない訪問者があった。黒岩が、鐘つき堂まで上がってきたのだ。
「こんにちは、カビ人間」
「こんにちは……」
「シマから伝言を預かってきた。聞いてくれるか?」
 その質問に答えるには、カビ人間には時間と勇気が必要だった。
 聞きたい。でも、聞きたくない。
 しかし、今聞かなければ今後聞かせてもらえないような気がした。
 シマに「興味が無い」とまで言われた。次はどんなことを言われるのだろう。
 カビ人間には恐怖しかなかったが、これ以上酷い言葉も無い気がした。
「聞かせてください」
 意を決してそれだけを言うと、黒岩はゆっくり頷いた。そして言った。
「酷い事をたくさん言った。ごめんなさい」
 思いがけない言葉だった。自分はとことんまで嫌われているものだと思っていた。だからシマは傷ついたような顔をするのだと思っていた。
 そうではなかった。嬉しい。しかし、
「なぜシマは直接言ってくれないのですか?」
 それが気になった。
「もう会わんそうじゃ。もしどこかで会っても、絶対に何も話さない、と」
「なぜ?」
「酷い事ばかり言ってしまうから」
「酷い事……? しかしそれは、本当のことなのでしょう?」
 カビ人間はシマの言葉を思い出していた。本当のことしか言われへん! シマは確かにそう言っていた。
「本当のこと? シマがそう言ったのか」
「はい」
「それは、嘘しか言えない、ということじゃ」
「どういうことですか」
「シマは、本心と正反対の事しか言えない。そういう疫病じゃ」
「本心と、逆?」
「そう」
 カビ人間は、シマの最後の言葉を思い出していた。
『俺は、お前になんか一片の興味もない! ほんまは、話なんかしたくない!!』
 これが、本心と正反対の言葉ならば、こんなに嬉しい事は無い。
「黒岩さん。シマに伝えてください。俺はシマと話がしたい。俺は傷つかないから、シマは謝らなくていい、と」
「じゃがシマは、酷い事を言ってしまう事実に、自分が一番傷つき、疲れきっておる。疫病を理解している家族とさえ話そうとせんのじゃ。お前と話す可能性は、至極低い」
「それなら尚更話さなくてはだめだ」
 カビ人間は即答した。
「なぜ? 傷が深まるだけじゃ」
「傷つくことを恐れて誰とも話をしなかったら、一人ぼっちだ」
 一人ぼっちの寂しさなら、カビ人間にはよくわかる。
「……わかった。伝えよう」
 言って黒岩は壁に手をやりゆっくりと歩き出した。帰るのだと気付き、カビ人間は慌て下まで付き添った。

 カビ人間は、とても満ち足りた気分になっていた。シマに嫌われているわけではないことがわかった。そして、シマの言葉を思い出しては一つ一つに優しさを見つけて、もっともっと、たくさん話をしたいと思った。
 カビ人間はそれだけで何日も浮かれた。
 シマが現れたのは、次のリセットの日だった。

「さようなら」
 ミサが終わり、正午10分前の鐘を突いて、お昼ご飯を食べて、流れる雲を見ていたら、背後からそう聞こえてきた。言葉の主は、声でわかった。カビ人間は慌てて振り向いた。さようなら、だなんて、すぐに帰られてしまっては困る。しかし振り向いた先に、シマはきちんといてくれた。
「さようなら」
 シマは緊張の面持ちでもう一度言った。カビ人間は少しだけ考えて、気付いた。
「こんにちは?」
 言うと、シマは嬉しそうに頷いた。そしてもう一度「さようなら」と言った。
「こんにちは」
 カビ人間が返して、挨拶が成立した。挨拶が成立しただけなのになんだか可笑しくなって、二人共少しだけ笑った。
 シマが、カビ人間の隣へとやってきて、腰掛けた。それだけなのに、カビ人間は嬉しくて仕方がなくて。自分の頬が緩みきっていることを自覚した。そのとき初めて、表情というのは勝手に出てくるものなのだ、と理解した。
「悲しそう」
 シマが、カビ人間の顔を覗き込んで、楽しそうに言った。カビ人間は少しだけ考えて、
「嬉しそう?」と聞いた。シマは大きく頷いた。
「嬉しくないはずがない」
 カビ人間が大真面目にそう言えば、シマが笑った。
「あはは! そんなに?」
「うん」
「へー。変わってへんなぁ」
「……変わってる?」
「違う」
「……そう?」
 シマは頷いた。会話は成立している。しかしいちいち聞き返されるので、シマは自分と話すことはやはり大変なのだと痛感した。思わず肩を落とすと、今度はカビ人間がシマを覗き込んだ。
「シマ。君と話す事にもう慣れた。問題ない」
「どうせ嘘やろ?」
「うん。本当に」
 カビ人間が笑顔で言った。シマもつられて笑顔になった。
「神父以外でシマが初めてなんだ。逃げ出さずに話を聞いてくれたのは。返事をしてくれたのは。だから、友達になりたいと思った」
 シマは頷いた。
「友達に、なってくれるか?」
「絶対嫌」
「そうか! よろしくな!!」
「金輪際ごめんや!!」
 そして二人してアハハと笑った。言葉はかみ合わないけれど、思いは通じている。それがなんだかとても愉快だった。

 それから、シマは空いた時間に鐘つき堂を訪れるようになった。さらに嬉しい事に、黒岩もたまに鐘つき堂まで来てくれるようになって、カビ人間は毎日が楽しく充実したものになった。
 ところがある日、鐘つき堂でシマと話していると、あの女性がやってきた。
「イガさん……」
 シマはばつが悪そうに立ち上がった。
「シマ! こんなところで何をしているの? カビ人間、シマに何もしてないでしょうね?」
「話をしていただけだ」
「シマに近づくなと言ったはずよ。これはどういうこと?」
 今にも掴みかかってきそうな女性に、シマがすがりついた。
「カビ人間が全部悪い! 俺は何も悪ない!!」
「……どういうこと? なぜカビ人間を庇うの?」
 女性は視線をシマに変えた。掴みかかりそうな勢いはなくなったが、表情には怒りが刻まれたままだ。
「カビ人間を責める理由があるから」
「……何を言っているの? あなたどうかしてるわ。カビ人間を憎んでいたでしょう?」
「ちが……!!」
 違う。シマの口から零れかけたのは、信じがたいものだった。本心と正反対の事しか言えないシマには、嘘をつくことはおろか、お世辞さえ言えない。つまり、シマの言う「違う」は「その通り」だ。
「帰るわよ」
 女性がシマの手を掴んで行こうとする。しかしシマは動揺を隠せないままに、カビ人間と目を合わせて動こうとしない。
「シマ、俺は大丈夫だから。帰れ」
 カビ人間が言った。
「でも、」
「今帰らないと後悔する。きっといつまでも家に帰るタイミングを逃す」
 その言葉で、女性はシマを強く引っ張った。シマも、カビ人間に行けと言われてしまっては、その場に留まることができなかった。
 カビ人間は二人を見送らなかった。シマの背中に、話しかけずにいられる自信がなかった。本当は大丈夫なんかじゃなかった。シマの言葉に、シマのあの顔に、カビ人間は聞きたい事がたくさんあった。
 だからカビ人間は、帰る二人に背中を向けて、あふれ出す感情に蓋をした。



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