ハネダの鐘つきカビ人間 5
カビ人間は持ち前の冷静さで、大事なことを思い出していた。
シマは、本心と正反対の事しか言えないと言うこと。裏を返せば、本心しか言えないと言うこと。
嘘を、言えないと言うこと。
「カビ人間を憎んでいたでしょう?」という女性の問いに「違う」つまり「そうだ」と答えたシマの言葉は嘘ではない。しかし、「友達になってくれるか?」というカビ人間の問いに「絶対嫌」つまり「喜んで」と答えたシマの言葉も嘘ではない。
「とんだ天才やなぁ」と言うのは、神父に献金とかこつけてお金を取られたのに、満ち足りた表情をしていたカビ人間を見て出た言葉だ。シマは、「とんだ大バカ者だ」と言いたかったのだ。カビ人間のために、神父に怒りを覚えたのだ。
シマは、自分を憎んでいるのに。
なんて愛しい(かなしい)人だろう。
憎まれている事実は残念だが、カビ人間はシマの慈悲深い愛情に気付き、よりいっそう、シマに心を奪われた。
七つ目の石を並べて、カビ人間は空を仰ぎ見た。明日はミサの日。シマは、来るだろうか。楽しく過ごせたわずかの日々の他で、シマが教会を訪れたのはミサの日だけだ。だからカビ人間は、次にシマが来るとすれば、それはミサの日だと思っていた。
「さようなら」
カビ人間は驚いた。ミサの日ではない、しかもこんな早朝に、シマが来るなんて思いもよらなかった。カビ人間は慌てて階段の方に振り返った。
「おはよう」
シマは浮かない顔で立ち尽くしている。さあ、とカビ人間が中へ促すが、シマは首を横に振って動かない。ただ、シマは、ありがとう、と叫んだ。
「ん?」
「ありがとう。……カビ人間、俺はお前を愛しとった」
もどかしげに、シマは言った。
「そして、今もそう。疑ってほしい」
疑ってほしい──信じてほしい。
嘘をつけないシマが、すがるような目でわざわざそう言ってきた。カビ人間は驚いた。この人は、自分なんかの為に、不安になってくれている。カビ人間には、今も憎まれているわけではない安堵より、その驚きの方が何倍も大きかった。
「わかってる。信じるよ。このカビ人間が、シマを疑うはずがない」
しっかり目を見て言えば、シマはひとまず安心した様子を見せた。しかしその場から動こうとしないので、カビ人間は、さあ、と手を差し伸べた。その手を見て、シマは恐る恐る聞いた。
「怒るん?」
「何を?」
「ずっと、愛しとったことを、現しとった」
「それは、怒る必要があるのか?」
「だって、ずっと、信じさせてたから」
「そうなるのか? 俺は騙されてたなんて思わないよ」
「嘘やろ?」
「本当に。ただ、なぜ憎まれていたのか。それが気になる。俺は、シマに、町中の人に、何をしたのか。それが知りたい」
騙されていたなんて、カビ人間には思いつきもしなかった。だからそんなことはどうでも良い。今となっては、町中の皆が過去の自分を憎む理由、自分が何をしてしまったのか、それを知りたい。
シマは少し考えて、慎重に言葉を紡いだ。
「カビ人間は、数え切れない程のことを、した」
そして、カビ人間に強い瞳を向けた。カビ人間はその言葉に、シマが嘘を言えないことをつい忘れてしまった。
「そんなはずはない。」
何もしてないのに憎むなんて、憎まれるなんて、そんなことあるはずがない。
しかしシマは首を横にふった。嘘をつけないとは言え、なかなか信じてもらえないであろうことは、シマには予想できていた。だからシマは根気強く、慎重に言葉を紡いだ。
「カビ人間は、数え切れない程のことをした。俺は、カビ人間を愛しとった。それは、正しかった」
「しかし、」
「俺は、真実しか言われへん」
嘘だけは言えない。それを思い出させようと言ったシマの言葉は、思いがけない言葉になって出てきた。
正反対の言葉でしか話せないシマの、紛れもない事実。
真実しか言えない。
それが、正反対でない言葉となって出てきた。これには、シマ自身も驚いた。そして、カビ人間の方が柔軟に対応できた。
シマは以前も「本当のことしか言われへん」と言っていた。カビ人間はその時シマの疫病を知らなかったから、ただショックを受けた。
だけど今なら、これを奇跡と喜べる。
「ごめん。疑わないと言ったばかりなのに」
シマは慌てて首を横に振った。
「ごめんなさい。疑ってくれて、ごめん」
そしてシマは笑顔になった。
「ありがとう?」
カビ人間が聞いた。シマはこくんと頷いた。
「ごめんは、ありがとう。ありがとうは、ごめん」
カビ人間はどこか楽しそうに言った。
「では、空の色は? 何色?」
その問いに、シマは空を見上げた。朝の空は、さわやかに晴れ渡っている。
「橙色」
シマの答えに、カビ人間も空を見上げた。シマの、橙色の空。
「では、森の色は?」
「赤紫」
「太陽は?」
「……真っ暗」
シマはまぶしそうに言った。
「では、俺は?」
思いがけない問いに、シマはカビ人間に向き直った。
「町中の人は、俺を醜いと言うけれど。シマも、俺を醜いと言った。シマには、俺はどんな風に映っているんだろう。シマ、俺はどんな顔をしてる? 俺は、どんな姿をしてる?」
カビ人間は穏やかな表情で答えを待つ。シマは改めてカビ人間を眺めて、ゆっくりと口を開いた。
「美しくなんてない。格好悪い。その赤紫の美しい服、案の定着こなせてへん。全然似合うてへん。カビ人間めっちゃ意地悪やし。皆逃げ出して当然や」
「そうか」
嬉しい言葉の連続に、カビ人間はくすぐったそうに微笑んだ。
「俺には、シマの言葉こそが事実で、真実だよ」
その言葉に、シマはしっかりとひとつ頷いた。
