ハネダの鐘つきカビ人間 6

 

 翌日のミサに、シマは姿を現さなかったが、4日後に黒岩がやってきた。シマは、再び鐘つき堂を訪れたことが発覚して、あの 女性にしばらく部屋を出るなと罰を与えられたらしい。
「すまんのう。普段は、冷静な判断を下せる優しい子なんじゃが。家族のこととなると、とんと冷静さを欠く」
「家族思いの人ですね」
 カビ人間は、冷静さを欠く原因が本当は自分にあるとわかっている。しかし、それを言ってしまっては、黒岩の優しさを無碍にしてしまう。カビ人間は、優しさを無碍にして、嫌われたくなかった。
「黒岩さんは、来ても大丈夫なんですか?」
「多少叱られるが、痛くもかゆくもないよ。わしがこんなんじゃから、シマが言うことを聞かずにやきもきしとるんじゃろうがな」
 わざわざ自分を訪ねてくれるだけでも嬉しいのに、多少であれ叱られるのに来てくれる。その上話をしてくれる。
 カビ人間は、心が震えた。
「……黒岩さんは、なぜ優しくしてくれるんですか?」
「優しいか?」
「はい」
「普通じゃがな」
 言って黒岩はガハハと笑った。
「黒岩さんは、俺が憎くないんですか?」
「憎む理由がないからの」
「黒岩さん。俺は、黒岩さんの目が見える頃を知ってる気がする。黒岩さんの目が見えなくなったのは、俺のせいではないのですか?」
 だから、シマは俺を憎んでいたのではないですか? だからあの女性は、俺を憎んでいるのではないですか?
 カビ人間はそう聞こうとしたが、黒岩に遮られた。
「カビ人間のせいではないよ。これは誰のせいでもない。事故じゃ」
「しかし黒岩さん。前のミサの日に俺は、町中の人が俺を嫌う理由を知ったのです」

 パンを買って、教会へと続く坂を上っていたら、前をある親子が歩いていた。カビ人間は追いついてしまわぬよう、気付かれぬよう、そっとそっと歩みを進めた。
 子供の話が途切れると、母親がこんな話を始めた。
「教会に行っても、鐘つき堂に近づいてはいけないよ。カビ人間という、醜く恐ろしい男がいるからね。見つかったら何をされるかわからないよ――」

 その男は、病にかかるそれまでは、驚く程の美少年だった。
 いつも町の娘に追い回される、輝くまでの美少年だった。
 町の男は誰もが皆彼女をとられる程の美少年だった。
 しかしこの男、病にかかるそれまでは、金にがめつくいじきたなかった。
 自分の物は自分の物。他人の物も自分の物。
 女騙して金をとり、男騙して金をとり、年寄騙して金をとり、子供騙して飴玉を奪う。
 ある日、しびれを切らした町人達は立ち上がった。
「許せない!」
「縛り首だ! ギロチンだ!」
「いやどれも手ぬるい!」
「死ぬ程辛い病気にかけろ!」
 そうしてかかったのが、地獄のようなこの病気。
 聖なる女神にあたうる程の、麗しき姿を内側に。憎き悪魔になお勝る、悪しき心を外側に。
 心は今や水晶の泉。姿は今やカビ雑巾。
 誰も近づくことのない。誰も愛する事のない。
 それが、カビ人間。

「カビ人間は悪いやつなの?」
 子供が聞いた。
「とってもとっても悪い奴よ。町中の皆がカビ人間を憎んでる。だから、」
 
 教会には行っても、鐘つき堂には近寄らないこと。カビ人間は大概そこにいるから。
 髪までカビが生えた緑色の醜い格好をした男がいたら、見つからないように隠れること。それがカビ人間だから。
 カビ人間に見つかったら、すぐさまその場を去ること。何をされるかわからないから。


 醜い姿ともう一つ、皆が自分を嫌う理由。それは、過去の過ち。カビ人間は、町中の人が、自分を憎んでいる理由を知った。
「黒岩さん。俺は、以前の自分がどんなに酷い奴だったかを知っている。だから、かばってくれなくていいんです」
「かばってなどおらん」
「お願いです。話してください。でないと俺は、罪を償えない」
 真面目なカビ人間に、黒岩はひとつため息をついた。
「町の者がどうかは知らん。じゃが、少なくともワシは、お前が罪を償なわねばならんようなことは一つもされとらん」
「しかし……」
「話にならんな」
 黒岩は立ち上がって「付き添いはいらん」と言い、階段を下りて行った。
 
 呆れられた? 怒らせてしまった?
 黒岩の後姿を見て、カビ人間は後悔した。
 シマも、何もしてないと言っていたのに。信じていないわけではないのに。憎まれる理由を知りたいがために、失礼なことをしてしまった。
 黒岩はもう来てくれないかもしれない。もしかしたらシマも、来てくれないかもしれない。
 この寂しさが、恐怖が、孤独というものか――
 思い至って、カビ人間は天を仰いだ。

 神様。
 孤独がこんなに辛いなら、俺は、人の温もりを知らない一人ぼっちのままが良かった。


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