ハネダの鐘つきカビ人間 8
シマは、カビ人間への憎しみがなくなっていることを自覚していた。カビ人間に心惹かれつつあることを自覚していた。だからこそ、話すわけにはいかなかった。どう考えても、どれだけ考えても、カビ人間を傷つけないためには口をきかないことしか思いつかなくて、途方に暮れたシマはもう一度教会へ行くことに決めた。
前回教会に行ったのは、お祈りをするためなんかじゃなかった。なぜこんなわけのわからない疫病を流行らせたんだ、なぜ自分だけこんなに生き辛い疫病なんだ、と、神に喧嘩を売るために行ったのだ。結局、カビ人間がいたために何も出来ずにその場を去った。
だから今回こそは、きっちり神に喧嘩を売ろうと決心した。
その日教会にカビ人間の姿は無かった。シマは祭壇の前まで行くと、十字架をにらみつけた。
神様なら、わざわざ言葉にせんでもわかるやろ?
シマは、それだけで教会を出た。
「やあ」と聞こえてきた声には気付かなかったふりをして歩を進めたが、二歩目で腕を掴まれ止められた。
カビ人間の問いに、シマは首を振るか頷くかで答えていたが、限界はすぐに来た。
これがほんまに最後や。
シマは決意して叫んだ。
「俺は、本当のことしか言われへん! ……町中のみんなが、未来のお前を愛しとる! お前を、バラの様に美しい、言うとる! せやけど俺には、醜く見える! やから俺は、お前になんか一片の興味もない! ほんまは、話なんかしたくない!!」
言えば、純粋なカビ人間はやはり酷く傷ついた顔をしていた。
見たか、神様。これがお前のしたことや!
シマは舌打ちをしてその場を去った。
家までの道のりでシマは、黒岩から話をしてもらって本当に終わりにしよう、と決意した。
しかし、シマの言葉を伝えた黒岩から、カビ人間の思いがけない返事を聞いた。
「傷つくことを恐れて誰とも話をしなかったら、ひとりぼっちだ」
なんて優しい人だろう。なんて純粋な人だろう。
シマは、カビ人間のもとへ足を運んだ。
カビ人間と多くのことを話してわかったことは、カビ人間はやはり、ただただ純粋な人だということ。人を騙しては金をとるような酷い人ではないということ。
むしろ、人の痛みを自分の痛みに出来る、優しすぎるくらいの人。
だからシマは、五十嵐の「カビ人間を憎んでいたでしょう」の言葉に「違う」と答えた時の、カビ人間の顔を忘れない。二度とそんな顔をさせまいと、心に焼き付けた。
その後もカビ人間はシマの話を聞き、純粋な心でシマを信じた。
なんて愛しい人だろう。
シマは、カビ人間を無条件に信用するまでになっていた。
しかしシマは、カビ人間を毛嫌いする五十嵐によって、教会には行かせてもらえなくなった。五十嵐なりにシマを醜く恐ろしいカビ人間からシマを守っているつもりであることもわかるので、シマは五十嵐を適当にあしらう事もできずにいた。
「どこに行くの」
玄関のドアに手をかけたシマに、五十嵐が聞いた。
「教会」
「なら良いわ。行ってらっしゃい」
この時ばかりは、シマは疫病に感謝した。五十嵐はシマが嘘をつけないことをわかっているので、シマの言うことを無条件に信じてくれる。
さてどこへ行こうか。
あてもなく歩いていると、『カビ人間』という言葉が耳に入ってきた。道行く人が、何やらカビ人間の話をしているらしい。思わず聞き耳を立てると、『3日前に空き巣に入られた。犯人はカビ人間に違いない』そんな話だった。
適当な事言いなや。そん時俺鐘つき堂に入り浸ってたっちゅうねん。
心の中で毒づいて、シマはこの不愉快な人物とは別の方向へ歩みをすすめた。そして、町中でカビ人間の話題を耳にするのは初めてではないことに気付いた。一年前にこの町に来た時から、カビ人間の話題はしばしば聞こえてきていた。当時シマはカビ人間にまったく興味がなかったので、内容まで聞こうなんて思わなかった。カビ人間の話題が聞こえてきても、それはカビ人間が町中の人から憎まれているものさしにしかならなかった。
ほんまに皆から嫌われてんねんなぁ。まあ、それだけのことしたんやろうけど。
そしていつしかそれさえもなくなって、『カビ人間』という単語は、町中にひしめく音の一つになった。
しかし、カビ人間がただただ純粋な人物であることを知った今、 その音は再びものさしになった。カビ人間が町中の人から憎まれていることを知るものさしではなく、町中の人が如何にカビ人間を憎んでいるか。その、ものさしになった。
シマは翌日も、あてもなく町中を歩いた。カビ人間の不愉快な話を聞くのは嫌だったが、それでも、シマには一つだけ知りたいことがあった。
本当に、町中の人にはカビ人間が醜く映っているのか。
もしも自分だけが、カビ人間の姿が美しく格好良く見えているのだとしたら、それは疫病の症状の一つなのかもしれない。自分の疫病の症状は、裏を返せば嘘を言えないということ。つまり、本当のことしか言えないということ。『正反対の言葉で真実しか話せない』というのが自分の厳密な症状だとすれば、視覚的な偽りや物理的な偽りも真の姿に見えるのかもしれない。それが正しければ、自分だけがカビ人間の姿が美しく見えてもおかしくはない。カビ人間はかつては誰もがうらやむ美少年だったのだ。今自分にその姿が見えているのだとすれば、筋は通る。シマはそう考えた。
では、本当は町中の人にもカビ人間の姿が格好良く美しく映っていたら。シマは、この場合の答えを出せなかった。
どちらにせよ、答えを出すならば、町中の人にはカビ人間がどう見えるのかを知る必要がある。五十嵐がその問いに答えれば手っ取り早く済んだのだが、『カビ人間』と単語を出しただけで一睨みされて、シマには聞く事が出来なかった。
しかし、都合よくそんな話が聞こえてくるはずがない。二時間歩き続けて聞こえてきたカビ人間の話題は、「息子が怪我をして返ってきた。何があったのか聞いても何も話してくれない。だけどきっとカビ人間の仕業に違いない」そんな一つだけだ。
おばさん、カビ人間がほんまは純粋な人やってこと、知らへんやろ。むしろ、何も知らへんやろ。何でそんなことが言えんねん。
心の中で毒づいて、シマはやはり方向転換をした。不愉快な話をそれ以上聞きたくない思いからだったが、すぐに後悔した。もしかしたら「奥さん、カビ人間って本当はイケメンなのよ。知ってました? オホホ」なんて、話が続いたかもしれない。次にカビ人間のことを話している人がいたら、きちんと最後まで聞こう。なんだか疲れたシマはそれだけを心に決めて家へ戻った。
