高校生 7
次に嶋本に会えないまま、2回目の登校日がやってきた。全校集会もホームルームも終わると急いで図書館と6組に行ったが、嶋本はいなかった。しかし、喫茶店に行けば会える可能性は大きくなる。
必死な自分をおかしく思いつつ、ここまで何かに興味を抱いたことがないことに気付き驚いた。
目立ちたくないと嶋本は言った。登校日の放課後は商店街が学生でごった返すことを考えると、嶋本は今日はいない可能性が高い。そのことには気づいていたが、行かない選択肢はなかった。
そして、喫茶店に嶋本はいた。既にソファーで本を読みふけっており、俺のことはちらりと確認しただけで無視された。
無視は寂しい。拒絶でも良い、声を聴きたい。そう思った。しかしこちらから声をかければ、嶋本はきっと帰ってしまう。どうしようか。
今日はマスターがジュースとお菓子を運んできてくれた。マスターは何か言いたそうにしていたが、結局何も言わずに出ていった。
嶋本がジュースを飲む。ぐびぐびと、勢いよく。顔が上へとそらされて、喉仏があらわになった。
上下する喉仏に目を奪われる。
「何」
あっという間にジュースを飲み干した嶋本が、俺の視線に気付いて言った。
その唇も、ジュースで濡れて。
それを拭う、手も。
訝しむような、目も。
「……いや」
嶋本の全てが、俺を捉える。
嶋本はいつも通り、ソファーに横になって本を読み始めた。
陽の光の中にいる嶋本は、眩しい。ふわふわの栗毛がきらきらと照らされて、あどけなく見える。これが不良だなんて言われたところで、信じられない。ただ一つ確かなことは、人を引き付ける癖に、寄せ付けないこと。
いつまでも眺めていたら、舌打ちをされて、背もたれの方に寝返りを打たれてしまった。
俺はようやく勉強にとりかかる。夏休みの宿題はプリントのものは全て終わらせてしまったので、今日は参考書を持ってきた。
しかし、やる気が出ない。喫茶店に来て、勉強ばかりして。嶋本と同じ空間にいるのに、話しすらろくにできていない。危うく、同じ空間にいられることに満足してしまうところだった。俺は、嶋本と話をしたくてここにたどり着いたのだ。なんとかして、話のきっかけを見つけなければ。
本を読んでいる最中に話しかけることはできない。ならば、本を読み終えたタイミングで話しかけよう。
嶋本は、あとどれくらいで読み終えるだろうか。本の残りは1/4くらいだ。嶋本がこちらに背中を向けているおかげで、本の進捗が丸見えだ。参考書と見比べて、大体の残りのページを推察する。50ページくらいだ。読み終えるまで30分程だろうか。
俺は、30分でできるだけの問題にあたりを付けて勉強を始めた。
問題を終えたとき、30分を少し過ぎていたが、嶋本はまだ本を読んでいた。ジュースを飲んで時間を潰していると、読み終えたらしい嶋本が体を起こした。
「何を読んでたんだ?」
「さあね」
ブックカバーで表紙が見えない。そうなると気になるし、嶋本が読んだものならば読んでみたい。
「読書感想文は書いたか?」
「まさか」
鼻で笑われた。
「課題図書、どれが一番良いと思う?」
「知らね」
嶋本の返事は相変わらず最低限だ。だけど、拒絶はされていない。答えてくれている。
「おすすめの本はあるか?」
「感想文用?」
「なんでもいい。それで書けたら書く」
「んー、じゃあ、おついち?」
「おついち?」
「作家」
「好きなのか?」
「さあね」
嶋本がニヤリと笑った。初めて見る表情だ。少しでも心を開いてくれたなら嬉しい。
「今度借りて帰ろう」
次の、最後の登校日は10日後、20日だ。早く登校日になればいいのに。早く読みたい。読めば、感想を嶋本と話せる。
次の登校日は、本を借りたらまっすぐに喫茶店に来て、喫茶店で本を読もう。そしたらすぐに話をしよう。そこからいろいろな話ができたらいい。嶋本が心を開いてくれたらいい。
最後の登校日、ようやくおついちの本を借りた。乙一と書いておついちと読むようだ。10冊程あったが、デビュー作があったのでそれにした。
喫茶店に行くと、嶋本は眠りこけていた。本を腹に乗せたまま、額に汗をにじませて。クーラーが付いているとは言え、夏の直射日光はきつい。嶋本の額に張り付いている髪の毛に手が伸びた。
無意識だった。髪の毛に触れる直前に我に返ったが、続けた。
前髪を上げてやる。汗ばんだまろい額が露わになる。指で汗を拭うと、さすがに嶋本の目が開かれた。眩しそうに見上げてくる。焦点が合ったのだろう。いつもの眼をされた。
「おついちを借りてきた」
「あっそ……」
嶋本は腹の上の本を抱え込んで背もたれ側に寝返りを打った。
嶋本が突然話をしてくれるなんて期待はしていなかった。俺は定位置に付いて、読書を始めた。
「うま」
真田が本を読み終えた時、いつの間にか起きていた嶋本が小さく呟いた。
見ると、お菓子を一つ食べたところだった。そんなに美味しいのか。食べてみると、確かに、「美味いな」
「な」
素直な反応が返ってきた。
まだ口を付けていないもう一つを嶋本へ寄越す。しかし、ひと睨みされて、せっかく寄越したお菓子を指で弾かれた。
「やるよ」
「いらね」
やはり指で弾いて返された。
「気に入ったんだろ」
「いいって」
嶋本は、頑なに弾いて返してくる。俺もむきになって何度も嶋本の方へ寄越した。
「食いもんで遊ぶな!」
嶋本が怒った。
「弾くのは嶋本だろう」
「お前が何度も寄越すからだろ!」
「だが、弾くことないだろう」
「お前が頑固って知ってたら弾いてないわ!」
嶋本が俺の口にもう一つを押し込んでお菓子の譲り合いは強制終了された。
そして
「本どうだった?」
嶋本の方から話しかけてきた。
「奇妙な話だった」
「ふーん」
「どんでん返し返しで」
「がえしがえし?」
「16歳でこれを書いたなんてすごい」
「へー」
嶋本はジュースをズズズと飲んで、口を開く様子がない。今の反応も、何かおかしい。
もしかして、嶋本はこの本はまだ読んでいないのだろうか。
そうかもしれない。だって嶋本は、「おついち」と作家名は教えてくれたが、具体的にタイトルは言っていなかった。
「もしかしてこれは読んだことないのか?」
「ないねー」
嶋本がニヤリと笑った。「乙一いっこも読んだことない」
「そうなのか。なぜ読んだこともないものをすすめた」
「よく借りられてるから、そんなに面白いのかなと思って。試しに?」
「試しに、俺に読ませたのか」
「そ。面白かった?」
「……面白かった」
「なら読も」
答えて、嶋本は立ち上がった。帰るらしい。
本を差し出す。
「読むといい。読み終えたらここに置いておいてくれたらいい」
「いらね」
「読むんだろ」
「いつかね」
答えて、嶋本はいつも通り、あっさりと帰って行った。
感想を語り合うことはできなかった。でも、今までで一番話ができた。
これで良い。少しずつでいい。
あと10日したら夏休みも終わる。そしたらきっと、学校でたくさん会える。たくさん話ができる。
考えるだけで、毎日が楽しくなるようだ。
浮かれている。だけど、悪くない。
そう思った。
