高校生 9
図書館には昼休みか放課後毎日行っているが嶋本とはあれ以来会えていない。まさか、2学期になって、夏休みより会えないとは思いもよらなかった。
体育祭がどんどん近づいてくる。今日は3限から6限が体育祭の練習、明日は1日予行練習、明後日はついに本番だ。リレーと名の付くもの全てに駆り出された俺は、長時間太陽の下に晒されることになった。9月下旬とは言え、流石に暑い。あちこちから呼ばれ、水分補給をし損ねた。まずい、と思った時には、有に肩を抱かれていた。
「大丈夫か? 無理すんなよ。保健室行こうぜ」
「悪い、一人で行ける」
「だめだめ。お前ふらついてっし。俺もこんなんやってらんねぇからサボりたいし。せんせー! 保健室行く!!」
有が叫ぶと、黒岩先生は一瞬渋い顔をしたが「おお」と手を上げて了承してくれた。
保健室に着くと、俺は水分補給の後ベッドに寝かされ、有は追い出された。
あっという間に眠りに落ちたのか気を失ったのか。目を覚ました時は昼休みが終わろうとしている時だった。
「今日はもう帰りなさい。リレーの選手なんですって? 明日も無理はしないこと。明後日頑張りなさい」
保険医にそう言われてしまっては従うしかない。
「親御さん、2時頃に裏門の方の通りに車で来るそうよ」
「わかりました。ありがとうございます」
教室に戻ると、クラスメイト達に「どうした」「大丈夫か」と囲まれた。帰る旨を伝えると、皆遠慮して質問を帰りの挨拶に変えてくれた。
「えー! 俺も帰るー!!」
有だけは騒ぎ続けたが、イガさんが一喝してくれた。
皆がグラウンドに移動して、教室に一人きりになる。2時までは少し時間があるが、裏門へ移動してしまおうと考えた。裏門を出たところの林道、あそこの木陰で待てば良い。
良い木陰を探して林道を進む。すると、カーブの先に嶋本がいた。道端に座り込んで煙草を吸っている。
「吸うんだな」
声をかけると、嶋本は全く気付いていなかったようでひどく驚いたような顔をされた。先日ひどく冷たい目で「話しかけるな」と言われたばかりだが、構わずに隣に腰掛けた。しかし嶋本は睨むどころか拒絶の言葉も吐かず、煙草の煙をフーと履いてから、「さぼり?」と聞いてきた。
「早退」
「まじで。なんで」
「体調不良」
「……そうは見えないけど。それになんで座ってんの」
「車がまだ来てない」
「そ」
短く答えて、嶋本は煙草をくわえた。
「吸うんだな、煙草」
もう一度言うと、「ああ、うん」と返事が返ってきた。
「真田は、なんで大人は煙草吸ってんのに子どもは駄目なのか知ってる?」
「確か、脳にニコチンのはまる穴みたいなのがあって、そこが全部埋まったら新たにニコチンの穴が出来る。子どもは大人に比べて穴が出来るスピードが速いから、その分数も多くできる。その穴がニコチンで埋まってないと人は煙草を吸いたくなる。だから早いうちから煙草を吸ってたらヘビースモーカーになるし体に悪い。だから子供は駄目なんだ」
「おお」
嶋本は、感情の籠ってない感嘆の言葉を漏らした。そして、煙草を地面で揉み消すと、制服のポケットから何やら取り出してそこに吸殻を入れた。
「担任がさー、それ説明せずに、俺が吸ってるとこ見たこともねぇのに、とにかく吸うなしか言わねえの。で、どうせ吸ってんだろって。アホらしくてさ、そんなんで吸うのやめる奴がいるかっつの」
「……そうか。ところで、嶋本はさぼりか」
「もち。ここ、門から死角で、うってつけなんだ。この道生徒のための道みたいになってるけど、ゴミさえ片付けとけば絶対ばれない」
「よくここでサボってるのか」
「おお。真田も混ざる?」
「いいのか?」
話しの流れ、冗談だと分かってはいても誘われたことが嬉しくて。そんな返事をしてしまったら、嶋本が笑った。
「来るのかよ! サボりの誘いだぞ」
「ああ……、残念だが、無理だな……」
「だろうがよ」
嶋本が、楽しそうに答える。眉間に皺がないと、こんなに幼く見えるのか。
プップー!
クラクションが聞こえてきた。見ると、林道の突当り十字路に親の車が来ていた。
「じゃあ、帰る」
「おお」
「またな」
「さあな」
嶋本は早くも視線を俺から外して、ポケットから煙草とライターを取り出した。
また吸うのか。
もしかして、体調が悪い俺を気遣って吸うのをやめてくれたのだろうか。
そんなことを考えながら車へと向かっていたら、「あ! なあ!」と声をかけられた。
振り向くと、嶋本がその場から叫んだ。
「表彰されるから出たんじゃねぇぞ! らちられたんだ!!」
「ああ!」
何のことか理解する前に返事が出た。嶋本は返事に満足したようで、また煙草を吸い始めた。
拉致されたから壇上に上がって感謝状を受け取るはめになったのだ。嶋本がそう言いたかったことが分かったのは、車のドアを開けたときだった。
体育祭当日。昨日の予行練習から出番を終える毎に皆がタオルや飲み物を持って来てくれるおかげで、元気にやっている。
次は学年リレー。アンカーの為他のリレーよりも皆の期待が大きい。少し緊張して待機場所にいたら、嶋本が河野に引っ張ってこられた。
「補欠がいるだろ!」
「なんでわざわざ遅い奴走らさなきゃならないんだよ。お前が体育までさぼるからだろ!」
どうやら、嶋本がピンチヒッターで走るようだ。
嶋本、来ていたのか。今日は一日サボりなのだろうと思っていた。
差し出された赤組の鉢巻をぶんどって、嶋本が聞いた。「で? 何番目に走りゃいいんだよ」
「それな、」
河野は周囲を気にしたのか集合をかけた。
「赤組集合〜!」
赤組のリレーの選手がなんだなんだと集まる。その後は小さな輪になって小声で話し始めたから聞き取れなかった。話が終わったのは入場ぎりぎりの時間。赤組は整列できないまま入場となった。グラウンドの真ん中で、赤組だけもたもたと整列した。
そして、嶋本が横に並んできた。
「アンカーなのか?」
まさかピンチヒッターがアンカーを走るわけがない。そう思って声をかけるも、見事に無視をされた。嶋本は、スタートラインを見ている。赤組の第一走者は河野だ。俺のいる青組は有。白組と黄組は知らない。
ライカンピストルが鳴る。有と河野が飛び出る。競っていたが、最後の直線で有が前に出た。一位青組、二位赤組でバトンが渡った。
嶋本の様子を伺うと、他の選手のように応援する様子はなかったが、しっかりとリレーの様子を見ていた。
リレーはその後、赤組と青組が順位を入れ替わりながら続いて、最初にアンカーにバトンが渡ったのは赤組だった。
速い。
アンカーを任されることだけはある。嶋本は、速い。
自分にバトンが渡ったのはタッチの差のはずなのに、随分と差が開いた。しかしアンカーはトラック一周、200メートル走る。これだけあれば、追い付けるかもしれない。
風を切るように走る小さな背中を追いかける。
楽しい。うきうきする。早く、追い付きたい。これがリレーじゃなければ、横に並んだら、そのまま隣を走るのに。
半周を少し過ぎたところで嶋本に追いついた。横に並ぶと、ちらりと睨まれた気がした。
名残惜しいが前に出る。
まっすぐゴールを目指す。
このまま引き離せるかと思った嶋本は、意外にも食らいついてきた。離れずについてくる気配が嬉しい。
結局ゴールテープを切ったのは自分だった。
一位青組、二位タッチの差で赤組。
「嶋本、楽しかった」
言うも、やはり睨まれただけだった。
ぜぇぜぇと肩で息をする上目使いの嶋本は、力強く野生じみて美しかった。
