ロボと心と愛のカタチ 特救編後編 13
真田は『悔しい思い』をしたが、データの初期化は起こらなかった。それはつまり、『悔しい』という感情をその時学習したというわけでないということ。『悔しい』という感情は、もともとインプットされていたということ。
悔しがる真田なんて初めて見たから、嶋本はこのロボットには『悔しい』という感情は、概念しかインプットされていないのかと思っていた。
しかし考えてみれば簡単なことだ。
人は――特救隊は、悔しさをバネに前進する。進化する。
だから、『悔しい』という感情がプログラムされてないはずがないのだ。
嶋本は少し、嬉しくなった。今になって、真田の新しい事を知るとは思ってもみなかった。真田にある感情が全て、破棄へと繋がっている気さえしていたので、そうでない事実がすごく嬉しかった。
新たな感情を学習させない事は難しいが、今ある感情まで否定する必要はない。
「あれ? 佐々木は?」
嶋本は高嶺に聞いた。書類の添削をしてやったのに、新人は自分のデスクから姿を消していた。
「隊長に用があるみたいで、出て行きましたよ」
「……隊長は?」
「資料室です」
「そうか。ありがとう」
嶋本は感謝を述べるなり資料室へと向かった。
真田は勉強会をしてから、嶋本に誘われずとも暇さえあれば資料室に篭るようになった。「勉強プログラム」はきちんと生成されたらしい。
そして、佐々木は与えられた仕事を終えると、資料室にいる真田のもとへ向かった。これは喜ばしい変化だ。
資料室前に着くと、嶋本は気付かれないようそっとドアを開けた。しかし真田の視界は三六〇度なので、口の前に人差し指を立て、静かにしているよう、そのまま続けるよう促すことを忘れなかった。
佐々木は、何やら難しそうな顔をして真田の話を聞いている。
嶋本はそっと室内へ入り、そっとそっと移動して、佐々木の後ろに仁王立ちした。嶋本は真田の話がきりの良いところまで来ると、右手に丸めていた書類で佐々木の頭をスパンと叩いた。しかし紙切れ一枚。痛みはなく、佐々木はただただ驚いた様子で振り返った。
「やり直しや」
言って書類を渡す。佐々木は書類を受け取ると、目を通すなりその場を離れようとした。
「どや?」
嶋本は構わずに聞いた。
「過去の海難で勉強しとったんやろ?」
その問いに、佐々木は少し考えてから答えた。
「俺は、まだまだっす」
「知っとる」
即答だった。しかし佐々木も動じる様子はなかった。
「俺が一人で報告書を見たところで、分からない事だらけっす」
「そやな。もう行ってええぞ」
「……失礼します」
佐々木が資料室から出て行くのを見送って、嶋本は机に目をやった。報告書だけでなく、何やら書かれた紙とペンもあった。嶋本は紙を手に取った。そこには、何やら説明が書いてある。
「隊長が書いたんですか?」
「ああ」
「佐々木がわからへんって?」
「ああ」
「ふ〜ん」
そして嶋本は、報告書に手を伸ばした。ちらりと目を通すと「八ヶ月ですね」と言った。しかし真田に何の事かわかるはずもなく、嶋本は言いなおした。
「八ヶ月分のデータを取り戻しましたね」
「ああ」
真田は嬉しそうに返事をした。
「ほな、さっきの書類ちゃちゃっと終わらせて来るんで、ちょお待っとってもらえます?」
「ああ」
返ってきたのは、やっぱり嬉しそうなものだった。
「お待たせしました」
嶋本と佐々木は、二十分程で資料室へ戻った。その二十分の間に真田は他の報告書に目を通していっていたようで、二人が椅子に腰掛けるなり口を開いた。
「気になる海難があった」
言って、報告書を嶋本に渡す。嶋本はろくに目も通さず、「ああ、これですか」とだけ言って報告書を佐々木に回した。今の隊になる前に、真田がデータを初期化するきっかけになった海難の報告書だった。
『勉強会』の手前、真田と嶋本は佐々木を待った。
報告書を読む佐々木の表情は、徐々に険しくなっていった。そして、
「こんなことって、あっていいんすか」
口を開いた。
「ええねん」
嶋本は即答した。
「でも、特救隊の制約は……!」
「隊長は例外や」
「え?」
「そのためのロボットや。ねえ? 隊長」
その問いに、真田は当然のように「ああ」と答えた。
「それが俺の存在意義だ」
その言葉に、佐々木は何も言えなくなった。
真田はそんな佐々木に構わず、話を進めた。
「俺が気になったのは、嶋本。お前の行動だ」
「はい」
嶋本は、近いうちにこのことを聞かれると思っていた。だから、返事は用意していた。
このロボットが、ロボットであるための返事を。
「巡視船からでは、俺が転覆船から戻れる確証は得られなかった」
「はい」
嶋本はできるだけ真田の視線を、言葉を、真正面から受け止めた。
「黒岩隊長は、撤退を命じた」
「はい」
「なぜ背いた?」
「報告書の内容通りです」
「まさか。俺は知っている。嶋本は、こんな誤った判断はしない。なぜだ?」
「……誤った判断はしてませんでしたよ。黒岩隊長に言われるまでもなく、真田さんを置いて、撤退すべきやと、わかってました」
「ならば、なぜ?」
「判断はできても、決断できひんかったんです。それだけです。報告書の通りです」
「……なぜ、決断できなかった?」
「甘かったんですね」
「……」
「特救隊副隊長として。……真田隊副隊長として、俺はまだまだ甘かったんです」
「つまりどういうことだ」
「信じたかったんです。隊長は必ず助かる、て」
「……わからないな。撤退の判断はできていたのだろう?」
その言葉に、嶋本は笑顔を見せた。「わからなくて良いですよ」
「なぜ」
「隊長は、ただのレスキューロボであるべきだからです」
そして嶋本は態度を変えた。
「ええですか、隊長。俺は、覚える必要のないことは、教えません。でも、聞かれた時は、答えるだけは答えます。ただ、それは真田さんにはわからないことだと思います。そんなとき、それが悪い事だとは、思わないでください。それは決して悪い事やない」
「……では、今わからないのも、悪い事ではないのか」
「ええ。むしろわからん方がええです」
「わかった。では、この話は終わりだ。進めよう」
そして嶋本も真田も、何もなかったかのように話を始めた。
ただ、佐々木だけが煮え切らない思いを抱えたまま、勉強会は進んでいった。
