ロボと心と愛のカタチ 特救編後編 7

 

「嶋本、どうしよう」
 突然真田にそう聞かれ、パソコンから顔を上げれば、真田の目から、涙が一滴。溢れてはぽつり、溢れてはぽつり。いや、ぽつりぽつり出ているのは涙ではない。だってこのロボットに涙なんて不要で、装備されていない。目だって本当はただのはりぼてで、人間に付いているから付けられていて、人間が瞬きをするから、瞬きの機能が付いているだけだ。
「え、何が起きたんですか?」
「わからない」
「いつからですか?」
「わからない」
「わからない?」
「いつの間にか服が濡れていて、服を拭いていたら、どこからか水がしたたり落ちてきて、どうもそれが、この辺りだけなんだ」
 真田は自分の右手を、自分の顔から腹の辺りまでを往復させた。それが、「この辺り」。
 このロボット、視界は360度のはずだが。
「……隊長、自分の顔視界に入ってないんですっけ」
「入っていない」
 自分に涙の機能がなく、自分の顔は視界に入っていないため、このロボットはまさか自分の目から水が溢れているなんてわからないのだ。
「この辺り」から水が滴り落ちてくる、どうしよう。
 このロボットはそう聞いたつもりでいるのだ。
「……どうしましょうね」
 嶋本は途方に暮れた。
 きっと今日の出動でこのロボットに何かが起きたのだ。その時にどこかに深い傷を負って、そこから体内に水が入った。
このロボットには痛覚がない。まさか、それが仇になる日が来るなんて。
 パソコンに水や飲み物をこぼしてしまったならば、解体して綺麗に拭いて乾かして元通り組み立てればそれでいい。パソコンに水や飲み物をこぼしてしまうと壊れるのは、中で部品が錆びたり、ベトベトのまま放置されたりするのが真の原因だ。濡れてしまうこと事態が悪いのではない。だから体内に海水が入ってしまったこのロボットも、すぐに動きが止まる事は無かった。
 しかし時間の問題だ。入ったのは海水。急がないと、すぐに錆び付いてしまう。
 ひとまず嶋本は、翌日朝一でのメンテナンスなんとか取り付け、ロボットにこう命じた。
「外で、水が落ちて来んくなるまで逆立ちしとってください」

 その後嶋本は、急ピッチで自分の仕事を終わらせた。
 いや、終わらせるつもりはなかった。少しでも早く終わらせて、水が出なくなった真田を少しでも手伝おうと考え、ピッチを上げた。それなのに真田はいつまで経っても戻ってこない。様子を見に行けば、
「嶋本」
 真田が視界に入った瞬間に、真田に呼ばれた。
「はい」
真田はまだ逆立ちをしている。手元には水溜り。
「いっこうに止まない」
 言ったそばから、ぽたり。
嶋本は真田の手元にしゃがみ込んだ。
「ほんまですねぇ。たとえば、体がいつもより重いとか、いつもより動作が鈍いとか、ありませんか?」
「ないな」
「そうですか」
 何もわからないなりに応急処置をしておこうと考える嶋本に、ロボは構わずに話しかける。
「ところで、」
「はい?」
「この水がどこから漏れているかわからないか?」
 嶋本は少し考えて
「水が漏れてる箇所がわかれば自分でどうにかできますか?」
 と聞いた。自分で処置できるのであれば、教える。自分で処置できないのであれば、教えない。
「できない」
 ぽたり。
「では教える必要ありませんね」
 目から水が漏れていると教えた時に。
まるで涙を流しているようだと言った時に。
 このロボットが新たな感情を学習しないとは言い切れない。
 水が漏れている限り、何度初期化したところでこの質問を受ける。それならば、教えないにこしたことはない。
 しかし、
「目か」
 真田は言った。
「この水は、目から出ているのか」
「……」
「どうなんだ」
 目からだとは、教えたくない。嶋本は嘘を教えることにした。
「……鼻です」
「嘘をつくな」
「なんで嘘やと思うんですか?」
「逆立ちをしていて分かった。水は二箇所から漏れている。しかし、その距離は、鼻の穴程近くない」
 こんロボ、なんでこんな時ばっかり鋭いねん。誰じゃ、いらんこと学習させたんは。……俺か。
 嶋本は内心、素で一人ボケつっこみをする羽目になった。
するとなんだか愉快な気分になってきたので、もう少しだけ漫才を続ける事にした。
「……ばれてしまいましたか。ほんまは耳です」
「耳ほど遠くない」
「…………ほんまのほんまは、口です。口の、この、両端からこう、まるで涎のように」
「……」
「ほんまですって。ほら、目の距離と、口の幅って、同じですやん」
 嶋本は自分の顔の前に両手を持ってきて、距離が同じであることを強調した。
「これは、目の距離やなくて、口の両端の距離ですよ」
 しかし真田は何も答えない。
 漫才もここまでか。
 嶋本は諦めた。「目です」
「やはりか」
 ぽたり。
「涙みたい」
「そうだな」
「……」
「……」
 ロボットは初期化する様子を見せない。今回のことで何か新たな感情を学習する事は、
「隊長、泣きたくなったことってありますか」
「無い」
 ないようだ。
「だが、泣けたら良いのにと思うことはある」
 これは、人間ならば現実的願望だ。現実的ということは、それは欲になる。
 しかし涙の機能が備わっていないこのロボットにとっては、非現実的願望。欲にはならない。

 無理やとわかっとるから、泣くことは端から諦めてたんか。
 
 それはそれでなんだか寂しい。
「泣くという行為は、ストレス物質を体外へ排出するために行うものだ。ロボットには必要ない」
 真田が言った。
「しかし嶋本は、それをしない」
「……まあ、」
「辛くても、苦しくても、悲しくても、嶋本は泣かない」
「はい」
「そんな嶋本を見たら、代わりに泣けたら良いのにと思う」
 ぽたり。
 嶋本は、逆立ちを続ける真田の手に、自分の手を重ねた。
「もう、ええですよ。逆立ち。あんまり続けても、手に負担がかかる」
 その言葉に、ロボットはすぐさま足を下ろした。しゃがみこんだような体勢になる。
 嶋本は重なったままの真田の手をとり、手の平をはたいてやった。すっかりアスファルトの跡が付いてしまっているが、傷が付いた箇所は無いようだ。
「せっかく目から水が出てるんです」
 嶋本は唐突に言った。
「これまでの分と、これからの分。俺の代わりに泣いてもらえますか」
「ああ」
 真田は嬉しそうに言った。しかし、次の瞬間には眉尻を下げた。
「泣くというのは、どうすればいい?」
「そうですねぇ……。では、俺の胸を貸しましょう」
 嶋本は両手を広げた。真田はぎこちないながらも、嶋本に体をあずけ、嶋本の肩に顔を埋めた。
 嶋本はそっと、左手を背中に、右手を頭に回した。
 やがて、じんわり、と。
 肩の辺りが濡れてきた。
「優しい人」
 頭をなでながら嶋本が言えば
「ロボットだ」
 と訂正が入った。
「あはは、せやった」
 ひゅるりと冷たい風が吹いた。
 しかし、36度5分の塊を抱いているので暖かい。
「隊長は優しいなぁ」
「そうか」
「それにしても、ほんまに止まりませんねえ」
「それはそうだ」
「はい?」
「これまでの分と、これからの分。きっと、どれだけ出しても足りない」
「あー、つまり俺はもしかして、とんでもないこと命令してしまいましたか」
「とんでもないと言うよりは、途方も無い」
「うわぁ、そら大変」
「だが、嬉しい」
 真田の声は本当に嬉しそうで。たまらず嶋本は、抱く手に力が入った。「まったくもう」

「ありがとうございます」

 

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