一緒に 15
五日間の活動を終え、国緊隊は日本に帰ってきた。真田さんと南部さんは一日休みが入って、その次の日から通常業務に戻ることになっていた。
だから、訓練を終えてケータイをチェックした時、真田さんから着信があったことに驚いた。しかも、メッセージが残されていた。
「嶋本。話したい事がある」
ひどく疲れた様子で、それだけ。
俺は大慌てで着替えて一番に基地を出た。車に乗り込むなり、すぐさま折り返し電話をかける。
「真田さん」
「嶋本」
「大分お疲れのようですから、俺、そっち行きましょうか」
「うん。頼む」
真田さんは官舎暮らしじゃない。俺は住所だけ聞いて、車を飛ばした。カーナビのおかげでアパートはすぐに見つけたが、駐車場がなかなか見つからなくて苦労した。
チャイムを押すとすぐに、わざわざすまない、と出迎えられた。俺が靴を脱ぐのを確認すると、真田さんは何も言わずに奥へと進んだ。通されたリビングは、基地ほどではないが冷房が効いていた。
真田さんが腰掛けた正面に、俺も腰掛ける。腰掛けてから、何か買ってきた方が良かっただろうかと気付く。しかし今から買いに走るのもおかしい。俺は真田さんの出方を待つことにした。
真田さんは少し呆けてから、慌てて「お茶を、」と言った。
「お茶を淹れるが、嶋本は冷たいものの方が良いか」
「冷たいのって?」
「最近、麦茶を作ってないんだ。牛乳、賞味期限が切れてなければいいが……」
一週間家を空けていたから、際どいところだ。しかし、賞味期限が切れてなくとも、牛乳の気分ではない。それに、こんなにもお疲れの真田さんだ。
「あはは。ほんなら、俺がお茶淹れますよ」
ほんの少しでも、役に立てるのならばそれが良い。
二人して台所に立つ。
「ああ、お湯もない」
真田さんが呟いた。しかし俺はCMで見覚えのあるケトルを発見した。
「お、これ。あっ、という間にすぐに沸く〜。の奴やないですか。俺がお湯沸かしてる間に、真田さんはお茶っ葉と急須と湯のみ二つ出してください」
「わかった」
真田さんはてきぱきと動く。だが、トルコから帰ってきてから今まで、お湯さえわかしていなかったのだ。一体どれだけ疲れているのか。明日の訓練は大丈夫なんだろうか。
そんなことを考えている間に、真田さんは用意を終え、本当にあっと言う間にお湯も沸いた。次は俺の番だ。
今までで一番美味いの淹れたんねん。
はりきって急須にお湯を入れてから、茶筒を手にとると、そこには玉露の文字が躍っていた。
煎茶、ちゃうやん。
煎茶と玉露では美味しい入れ方が違うことまでは覚えているが、玉露の美味しい入れ方までは覚えていない。
途方に暮れて茶筒を弄んでいると、素晴らしい文字列が視界に飛び込んできた。
『美味しい淹れ方:60度〜70度のお湯で90秒程蒸らすと美味しくいただけます』
てことは、どうしたらええんや。
必死に考える。確か、少量のお湯ならば、器に移しただけで温度が何度か下がったはずだ。急須を温める用のお湯は煎茶と同じく捨てるのだろうが、用意されている湯のみは俺の指示通り二つ。時間ももったいない。手抜きをすることにした。
俺は、急須のお湯をそのまま片方の湯のみへ注いだ。そしてそのお湯を、もう片方の湯飲みへ。そして、空いた湯飲みへ再び急須からお湯を注いだ。そして、急須の残りの湯は捨てて、二つの湯のみのお湯を急須へ戻した。
多分、これでそれなりの温度まで下がっただろう。
そしてようやく急須に茶葉を入れ蓋をした。
「淹れ方が違うな」
何の感情もこもっていないような声でそう言われた。疲れ果てた真田さんは、いつも以上に抑揚が無い。
「いやあ、まさか玉露やとは思いませんでしたわ。玉露は美味い淹れ方覚えてへんので、期待せんでください。まあ、ものが良いんで残念なことにはならんでしょけど」
「そうか」
「……」
「……」
沈黙が生じた。
気まずい。急須をゆすってとっとと注いでしまいたい。ダイバーズウォッチは、残念なことになかなか時を刻まない。
ひたすら気まずいままなんとか90秒が経った。呼吸停止の90秒よりはるかに長く感じる90秒だった。
煎茶と同じく、少量ずつ二つの湯のみに注いでいく。色を均等に。最後の一滴まで残さず入れて、香りを逃さない。
急須をシンクに置くと、真田さんが手ずから湯飲みを運んだ。
先ほどの場所に腰掛けると、真田さんはさっそくお茶を口にした。
ずずとすすって、ふう、と肩で息をつく。
「美味い」
その言葉にひとまず安心して俺もお茶を一口いただいた。
「うん、美味い。さすが玉露」
俺のこの言葉に返事は無かった。
真田さんは湯飲みを両手で弄んでいる。
再び沈黙が生じた。どうしたものかと悩んだが、真田さんが疲れきっていることはわかっている。急かすのも酷なので、結局待つことにした。
お茶もそろそろ冷めるという頃になって、真田さんはぽつりと呟いた。
「一人も生きている人を救助できなかった。陸では無力で、悔しくて、情けなくて、しょうがなかった」
トルコでのことだろう。普段は海が現場の特救隊だ。陸で役に立てない悔しさや情けなさならば、想像に容易い。しかし、現地で共に働いていない手前、わかりますとも言い難い。何と声をかけようかと逡巡していると、真田さんから驚きの言葉が発せられた。
「嶋本にずっとこんな思いをさせていたのかと、また、情けなくなった」
驚きの言葉は、まだ続く。
「それから、嶋本がいないことに、違和感を覚えた。そしたら、どっと疲れた。いや、ずっと疲れてたんだ。嶋本がいないことに気付いたとたん、疲れを自覚した。……嶋本がいないと、することが多いんだ。あれもこれも自分でしなきゃいけない。右手を出しても、望むものを渡してくれる人は誰もいない。安全確認も、ずっと気をはってしてないといけないから、作業に没頭できない」
俺にはもったいない言葉ばかりが並んだ。
真田さんは大変な苦労をしてきたというのに、それがすごく嬉しいだなんて。俺は返事に困った。
ぽつりぽつりと紡ぎ出される言葉は、まだまだ止む気配がない。
「嶋本がいればと、何度も思ったよ。嶋本に、もっと話をすればと、何度も思ったよ。嶋本と、もっとちゃんとバディにならなきゃと、何度も思った」
真田さんの視線は、湯飲みから全く上がらない。まるで不安に包まれているように見える。
「嶋本は、ずっと、今のままじゃ駄目だと言ってくれていたのに。……バディを失うことが怖かったんだ。だから、安全確認をさせて、バディだけは助かるようにしてるつもりだった」
真田さんは、伊藤さんのことを片時も忘れることがなかったのだろう。これで合点がいく。「……恐怖していて欲しいって、そういうことやったんですね」
「ああ。……だが、それがいつの間にか、嶋本に甘えるようになってたんだな。嶋本がいないと、全部がしんどくて」
「……」
「嶋本がいたら、あれができるのに。嶋本がいたら、この作業も大分楽なのに。嶋本がいたら、悔しさをもっとバネにできるのに。嶋本がいたら、辛さも苦しみも悲しみも嫌なこと全て分かち合えるのに。嶋本なら、しんどいこと全てを包み込んでくれるのに。嶋本となら、安心して救助にあたれるのに。嶋本となら、もっと役に立てるのに……」
少しの間を置いて、真田さんはゆっくりと顔を上げた。しっかりと目が合う。
「嶋本、俺を嫌いにならないでほしい。嫌いになりたいだなんて、考えないでほしい。俺は、嶋本がバディでないと駄目なんだ。嶋本と、きちんとバディになりたい」
次は俺が俯く番だった。急激に涙がこみ上げてきて、止めることができなかった。慌てて右手で目元を覆う。認めてもらえたことが、支えになれていたことが、こんなにも嬉しいなんて。
「俺も、きちんとバディになりたい。でも、なられへん」
涙が一滴テーブルに落ちた。声も震える。
「真田さんのこと、嫌いにならな。きちんと、バディになられへん」
「……意味がわからない」
抑揚が無いなりに、動揺は伝わってきた。
俺は、なんとか涙を止めて涙を拭って顔を上げた。
「バディになりたいって思ってもらえて、めっちゃ嬉しい。真田さんが、俺が淹れるお茶が美味しい言うてくれるのも嬉しい。がんばりすぎるな言うて、頭に置かれた手も嬉しかった。今、俺んことでそんな顔してくれてんのも嬉しい。でも、足りんのです。俺は、真田さんのことが好きやから。真田さんに対して、どんどん欲深くなる」
「……」
「その温もりが嬉しい。もっと触って欲しい」
俺はあえてまっすぐに目を見て言った。気色が悪いと嫌われるのならば、とことんまで嫌われたほうが諦めがつきやすい。
「湯のみになりたいと思った。その手に包まれたい。その手に触れたい。その唇に触れたい。その唇で触れて欲しい」
「……」
「俺は、胸を張って真田さんの隣に立たれへん。純粋にレスキューの事考えてる真田さんの隣に、今の状態でおれるはずがない」
「……」
「真田さん、これでもまだ、バディになりたいと思ってくれますか」
「……」
「ね、」
「……」
「嫌いになりますから。その時はどうか、バディとして、横に置いてください」
少し待ったが、真田さんの返事はなかった。
「失礼します」
俺は深々と頭を下げると、その場を後にした。
