一緒に 17
長い、あまりに長い夏がようやく終わりを見せた10月。
俺はなんとなく皆のお茶係になってしまっていて、真田さんに申し訳ない日々を送っている。湯飲みになりたいだの気色悪いことを言ってしまったので二度と淹れるつもりはなかったのだが、こうなってしまっては一人分だけ淹れないわけにはいかない。真田さんも、手を付けなければ良いのに、それどころか、毎回飲み干す。
図太い。
きっと、神経が直径5センチくらいの太さなんだろうと思う。辛抱してくれと言った日さえ、ロッカーで肩にポンと手を乗せられた。払いのけて「やめてください」と言えば、真田さんは驚いた様子で自分の手を眺めていた。驚いたのはこっちだ。
だけど、それから不要な接触はない。仕事以外の会話なもい。
これでいいのだ。俺たちはただの先輩と後輩。上司と部下。仕事仲間。水中では、命を預け支え合うバディ。
これでいい。
寂しくなんて思っちゃいけない。苦しくなんて感じちゃいけない。
なんて、しんどい。
それにしても、今日は、涼しいを通り越して寒い気がする。
「嶋本、俺今日熱いのー」
と言う隊員の声に、全員がのっかった。6人分のお茶を淹れるのは初めてだ。給湯室にて、いつもどおりに淹れようとしたら、急須にお湯が5人分しか入らなくてまいった。どうせこの量ではおかわりが出るだろうし、諦めてポットごとテーブルへ運び、自分の分は最後に淹れた。
「今日は少し冷えるな」
黒岩隊長のその言葉に、夕食は皆温まるものを注文した。俺は中華丼と激辛麻婆豆腐。しかし中華に煎茶は妙な取り合わせだ。今度ウーロン茶かプーアル茶でも買ってこよう。そんなことを考えていたら、早くもお茶のおかわりが出た。他にいる人? と聞けば、全員が湯飲みを空にしてよこしてきた。全員ならばやりやすい。
「しばしお待ちをー」
言いながら、急須に茶葉とお湯を入れる。蒸し時間のことなど知らない男どもはさっそく急かしてきた。
「早く入れてー」
「薄くていいなら入れますけど」
ダイバーズウォッチを見ながら言えば、「どんだけ待つの?」と聞かれた。
「あと50秒です」
「長いな。早くしろ」とは黒岩隊長だ。
「不味くていいなら方法ありますけど」
大人しく待っているのは真田さんくらいだ。
60秒経って、ようやく注ぐ。しかし、各湯飲みに少しずつしか注がないのでまた不満の声があがった。
「最初の人薄くて最後の人渋くていいなら一つずつ淹れますけど」
急須からお茶が出なくなるのを見計らって、待ちわびた隊員の手が伸びてきた。その手を真田さんが静止する。
「まだだ」
最後の一滴まで注ぎ、香りを逃さない。
急須を置いたところで、真田さんが湯飲みを回してくれた。
ナイスコンビネーション。そろそろバディを名乗ってもいいだろうか。
そろそろきちんとバディになれてきただろうか。
それにしても皆、食べるペースが早い。
「食欲がないのか?」
真田さんに唐突に聞かれた。
あるから食べてる。食べられるから目の前には中華丼と麻婆豆腐がある。何を言っているのか、この人は。
「ありますけど」
答えると、これまた唐突に、真田さんの手が額に伸びてきた。払いのけようとするも、右手には餡にまみれたレンゲが握られている。レンゲを置いて、いざ手をのけようとしたところで、真田さんの顔が険しくなった。
「食べたら休め」
言うと、真田さんの手は離れていった。入れ替わりで他の隊員たちの注目を浴びる。
熱がある自覚はない。しかし、真田さんの手はひんやりしていた。
そういえば、黒岩隊長は「今日は少し冷える」と言っていた。俺には寒いくらいなのに。そうか、これは、寒いんじゃなくて寒気がしているのか。
皆の食べるペースが早いんじゃなくて、俺の食べるペースが遅いのか。
わかった途端身震いがした。
気付いた途端体が重くなった。
自覚した途端食欲が失せた。
ああ、しんどい。
「先に休んでもいいですか」
言うと、真田さんが立ち上がった。
「布団をしいてくる」
俺は、丼と皿を遠くへやって突っ伏した。
真田さんはすぐに戻ってきた。肩に手が乗せられた。その手が真田さんのものであることは、見ずともわかった。
手を払いのけて立ち上がる。すみません、と言いかけて、ありがとうございますと言い直した。
丼に手を伸ばすと、黒岩隊長に「やっとく」と言われた。
「すみません、お願いします」
とぼとぼと仮眠室へ移動する。気付けば、腰を真田さんに支えられていた。
なんだ、これ。
布団に横になると、真田さんはご丁寧に掛け布団をかけてくれた。至れり尽くせりだ。
真田さんは電気をつけたまま出て行ったかと思うと、すぐに戻ってきた。熱さましのシートを額に貼られ、温度計を差し出された。布団の中でもそもそと、温度計をわきに挟む。真田さんは何も言わずに傍らで待機している。
気まずい。
しんどい。
気まずい。
しんどい。
気まずい――
ピピピピ、ピピピピ。体温計がなった。
8度3分。
案外ある熱に驚いて、情けなくなった。こう傍らで待機されては、証拠隠滅もできない。恐る恐る体温計を差し出すと、真田さんは一瞬目を見開いたように見えた。
「いつもよりつっけんどんなことは気になっていた。ずっと具合が悪かったんだな。気付けずにすまない」
ひどく優しい声でそう言われた。俺は首を横にふった。
「言われるまで無自覚でした。すみません」
「……ゆっくり休め」
そして真田さんは電気を消して出て行った。
人の気配に目を覚ませば、真田さんが立ち去ろうとしているところだった。
「真田さん?」
「起こしてしまったか。すまない。スポーツドリンクを置いているから、飲むといい」
枕元を確認すると、ペットボトルと濡れタオルが置いてあった。
「ありがとうございます」
言うと、涙が溢れてきた。
ああ、とことん弱っている。優しさがひどく身に染みる。
真田さんに背中を向けて涙を拭うも、真田さんが傍らに来てしまった。覗き込まれる。電気が消えているのが救いだ。
「大丈夫か」
「ほっといてください」
「ほっとけるか」
「じゃあ、優しくせんでください」
「こんな時くらいかまわせろ」
「しんどいんです。中途半端が一番、しんどい」
言って、枕元をさぐる。察した真田さんに、濡れタオルを握らされた。
濡れタオルで顔を覆う。弱っているせいか、どうにも涙が止まらない。
「嫌いに、なられへんのです。触られたら嬉しいし、優しくされたら嬉しい。わかっとっても、期待してまう。しんどい」
「……」
「嫌いになろうとしてんのに、なんで、俺んことわかるようになっとんですか。そういうの、やめてください」
濡れタオルといい、体調といい、なんで言わなくてもわかるのだ。
「……」
真田さんは何も言わずに、慣れない手つきで、俺の頭を撫でた。やめろと言ったばかりなのに。
「治ったら、話をしよう」
真田さんはそう言い残すと、そっと仮眠室を後にした。
