一緒に 2
俺は、遅い反抗期を抜け出せないまま一年浪人して保大に入った。五十嵐さんと真田と伊藤に出会って、思いがけず有意義な二年間を過ごした。
三人が卒業してからはいまいち張り合いが無かったけど。俺は真田に勝つことができずじまいだったから、いつか見返してやるため、自分でも驚くほど真面目に毎日を過ごしていた。
伊藤有の訃報を聞いて、俺は初めて、自分から真田に連絡をとった。
もしも副担任のようにやる気をそがれてしまっていたら……。
それが気になってしょうがなかった。
「……おう、俺」
「ああ、めずらしいな」
真田は少し嬉しそうな声を出した。
「伊藤のこと、聞いた」
「……ああ」
嬉しそうな気配が消え、いつものあまり抑揚のない声に戻った。
「お前、潜水士やめねぇよな?」
「やめない」
その一言から、意志の強さが覗えた。しかし同時に、違和感を覚えた。だから、聞き方を変えた。
「なんで続けるんだ? 死にそうな目に遭って、親友を亡くしたんだぞ?」
すると真田は、ためらいもせず即答した。
「レスキューを続ける事でしか、生きていく意味が見つけられない。有と共に前に進んでいきたい」
それを聞いて、違和感の正体に気付いた。
「共にっつったって、伊藤は死んでるんだ。そうやっていつまでも引きずり続けるつもりかよ」
「引きずっているつもりはない」
「引きずってんじゃねぇか。どうせ伊藤の意思汲んだつもりでいるんだろ? 俺が伊藤の立場なら、勘弁してくれって思うね! 俺のことなんか気にするな、好きに生きろ!って」
「……」
「なあ、違くねぇか。伊藤を糧に生きるならいいよ。でもお前は、伊藤を自分が生き続ける言い訳にしかしてない」
「……まるで悪いことのように言うんだな」
「悪ぃだろ。駄目だろ! だって、」
ガチャン
雑に受話器が置かれる音が聞こえた。
一番言いたい事を、全く言わせてもらえなかった。
駄目だろ。だって、そこにお前の意思がないじゃないか。そんな状態でレスキューなんて大層なこと、続けられるはずがない。些細なことをきっかけに、きっと、立ち上がれなくなる。
伊藤と共にっつったって、お前今ひとりじゃねぇか。目ぇ開かしてくれる奴近くにいるのかよ。どうせ周りは腫れ物扱いで、ろくなこと言ってくれねぇんじゃねぇのかよ。
放置して、それでその罪悪感が拭えるのにどれだけの時間がかかるんだ。
お前は今、一人じゃ駄目なんだ――
この瞬間、俺の目的も目標も変わった。
これまでは、ただ、見返してやる事が目的で、ただひたすら真田が目標だった。
でもこんな腑抜け、目標にもならない。こんな腑抜けに認められたって、目的は達成されない。
俺が目ぇ開かしてやる。目ぇ開かして、元の真田に戻してやる。
そのためにはまず、この腑抜けに追いつかねぇと。
そして俺は、真田と同じスピードで、潜水士になった。神戸に配属されて、五十嵐さんと再会した。
二人居酒屋に行って。
話したい事はあった。しかしどう言い出せば良いか迷ってしまった俺に、五十嵐さんがこう言った。
「真田君、特救隊に配属されたわ」
「はい。噂で聞きました」
「最速だそうよ」
「じゃあ俺も、最速で特救隊に行きます」
「あら。それは真田君の記録を抜くという事になるのよ。勝負は負け続けているのに、大した自信ね」
「今のあいつなら、楽勝ですよ」
「今の……?」
「……伊豆沖での海難の後、一度だけ電話したんですけど」
様子を覗いながら、ひとまずそれだけを言った。五十嵐さんは伊藤の婚約者だった人だ。思い出させて悲しませるようなことはしたくない。
しかし五十嵐さんは、聞く姿勢を崩さなかった。
「……いまいち前向きじゃなかったんすよね。話の途中で一方的に切られちまって、多分、図星だったんだと思います」
「……何を話したの?」
五十嵐さんにしてはめずらしく、ためらいがちだった。
「レスキューを続けていく事でしか、生きる意味が見つけられないって。伊藤……さんと、共に前に進みたいって言ってました」
「それは私も聞いたわ」
「俺、それは伊藤さんを自分が生きる言い訳にしてるだけだ、って言いました。そしたら、まるで悪いことのように言うんだな、って言われて。悪いだろって言ったら、切られました。変ですよね。本当は自分もそう思ってて、でも認めたくなかったみたいだ」
「シマは、まだ彼に会ってはいないのよね?」
「? ええ、卒業式以来会ってません」
「彼の右目ね、今、二重なの。まるで有が彼の中にいるみたいに」
チッ
自分にイラついた。ろくに知りもしないのに、適当なことを言ってしまった。
「きっと、真田さんもそう思ってるんでしょうね」
「ええ。だから私、彼に何も言えなかった……」
「俺、真田さんの中の伊藤さん否定したみたいだ」
「でも、シマが言ってくれなかったら、いつか私が言ってた」
「は?」
「入院中の彼に会ったとき、自虐的な痛々しさというのかしら。彼からそんな感じを受けて。でも、有と共になんて先に言われたら、自由に生きろなんて言えなかった。シマは、そう言いたかったのよね」
「……ああ」
敬語も忘れて頷くと、五十嵐さんがふわりと微笑んだ。惚れた女神の綺麗な笑顔。見とれそうになったが、その口からとんでもない言葉が発せられた。
「きっとシマなら支えになれる」
「はぁ?」
「あら。最速で特救隊に行くというのは、そういうことじゃないの?」
「違ぇよ! 俺が特救隊に行くのは、あいつを……!!」
「あいつを?」
女神の綺麗な微笑みは、一瞬にして小悪魔の微笑みになった。
俺は、さっさとあいつの目ぇ開かすために特救隊に行く。けれどこの小悪魔にそんなことを言っても、支えになることと同じ扱いにされるに違いない。支えになろうなんて、支えになれるなんて、大それたことは思っていない。ただ、一緒に、頑張れたら良いと思う。
一緒に頑張ってくれる人がいるその意味を、俺は知ってる。
だけど、そんなこと俺が素直に言えるはずがない。
「多分あいつは今、一人じゃ駄目なんだ。伊藤さんと親しくしてた五十嵐さんなら、わかってやれると思う」
五十嵐さんは何も言わず、小悪魔の微笑みも崩れなかった。
